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Episode of vice captain 1


1  ウキグモ & ハナヨイ


「ちょっといいかい?」
ノックと共に聞こえた声に、ウキグモはドアを開けて顔を出した。
訪問者は、今日は来るだろうなと予想していた通りの男だ。
「来ると思ってたよ。まあ入れ。今日配られた改訂版の地図は字が小さかったからなぁ。お前さんじゃちょっと見にくかっただろ」
ウキグモの笑顔に迎えられながら、声の主は、ドア枠を軽く手で確かめると部屋に入って来た。

 客は新兵の時に同室だった花酔(ハナヨイ)だ。
尤もその名前は旅芸人だった際の芸名で、本名は奏丸(かなでまる)という。
 色鮮やかな花や模様が染め抜いてある白地のドテラに肩から江戸紫の鉢巻をかけるという服装で、白緑色の髪に青や紫の髪束が混じる賑やかな髪色だが、瞳の色素はかろうじて紫とわかるほどに薄い。
極端に目が弱いという遺伝がある家系なのだった。

 そろそろ夜中に差し掛かろうとするこの時間になると、目の疲れや光線具合でほぼ見えていないはずだが、部屋に入るとすぐに言った。
「悪ぃ。仕事中だったな」
こういう時のハナヨイは、逆に視覚以外の感覚が鋭敏だった。今まで何をしていたかくらいは簡単にバレてしまう。
「いや、野暮用だよ。気にすんな」
ウキグモはちゃぶ台に広げていた紙を雑に集めると、投げるように畳に置いた。ハナヨイが持って来た地図を受け取ると机に広げる。
地図はそう大きくもない円卓いっぱいに広げられ、場所が足りなかった端の方はテーブルクロスのように垂れた。
机に触れ、床に触れ、ゆっくりと座る様子は確かに目の調子が悪いらしい。だが、軽く周りを伺うようにするとニッと笑った。
「お前、また女ができたね」
「遠征先で珍しい酒分けてもらったんだが1人で飲んじまってもいいか」
一升瓶を引きずり出しながら大きい独り言を言うと、声を出して笑った。
「そりゃねえよ。こういうのは言っとくのがお約束ってもんだろ」
「そんな約束、期待してねんだよ」
ウキグモも笑いながら、一升瓶から猪口に直接酒を注いだ。


 地図で改変があった地名や地形を、ウキグモが一つずつ説明してゆく。
「…、で、その道を山の標高半分くらい下ったところに村の名前が増えてんな。麓まで下りた所の町も合併して名前変わってるぞ」
 新兵の頃はともかく、今やウキグモもハナヨイも副隊長だ。
部下を持つ身分になり戦闘以外の仕事も増える中、それでもウキグモにこんな個人的な雑務を頼むのは、読み上げや説明が一番わかりやすいからだった。
 頭に叩き込んである旧地図の中を今歩いているように、道が延びて地域が詳細になり、地図が大きく新しくなってゆく。
 猪口を口に運ぶことも忘れ、言葉を一つずつ頭に刻むこの時間を、ハナヨイは時にとても神聖なものに感じることがあった。
他の音が消えた部屋で、ウキグモの落ち着いた声だけが漂い来ては沈んでゆく。



「…くらいかな。大丈夫か?」
終わりを告げる言葉が唐突に、地図の旅からハナヨイを引き戻した。
すぐには現実にそぐわないような気持ちを何とか立て直して答える。
「ああ大丈夫だ。完璧に覚えた」
地図を畳み差し飲みに入ろうかという時、ウキグモがふと言った。
「ああ、そういや」
先ほど床に投げた紙を片手で探っている。数枚を机上に出すと言った。
「依頼…というか相談だな。ちょっと意見聞かせてくれ」

言って、ウキグモは話し出した。
「最近、この辺で子どもが行方不明になる事件が多発してたのは知ってるか?」
「ああ、聞いてるよ。けど、今までも定期的にあった話じゃねぇか。戦乱の世にゃ人攫いや人買いが横行するのは仕方ねぇし、その度に犯人も捕まえてる。それに」
言いかけたハナヨイの言葉をウキグモが継いだ。
「ああそうだ。今回は犯人を捕まえることこそできなかったが、子どもは全員無事に帰って来た」
しかし、その声には納得していない響きがある。
「…が、気にかかることがあるって訳かい」
ちょっとためらってから、ウキグモは話を続けた。
「ここからは…奇想天外な話になる。話半分に聞いてくれ」
一旦言葉を切り、言った。
「俺の部下に、被害にあった夫婦がいるんだが…。そいつらが言うんだ。帰って来たのはウチの子じゃない気がするってよ」
前置きの割には話半分に聞くような声色ではない。否定し肯定し考え続けた時間があったことが、言葉端から滲んでいた。

「けど事件は解決したことになった。なら少なくとも、見かけは同じ子どもってぇことだな」
「俺が見る限りじゃあいつらの子に間違いない。だがなあ…軽々しくそんなことを言うような奴らじゃねえんだ」
面倒見が良いウキグモは、仕事だけではなくプライベートでもしょっ中隊員たちの世話をしている。確かにその夫婦の人柄は折り紙付きなのだろう。

「俺がその子を前から知ってさえいりゃあなあ…会えばわかる気がすんだが…」
ハナヨイが呟いた言葉にウキグモが反応した。
「それだ」
床に残っていた紙もガサガサと探り、目を通しているらしい。
「今回は被害者の数が多いんだ。きっと1人ぐらいはお前の知り合いがいる」
しばらくすると言った。
「おい、こいつはどうだ。店の外で立ち飲みできるちょっと先の酒屋。そこの息子だ」
1人飲みでも人とでも、ちょくちょく行く店だ。
「ああ、わかる。たまに店の手伝いをする、カウンターでよく宿題してる子だね」
そうと決まったら、と立ち上がりかけたウキグモをハナヨイは慌てて止めた。
「店に行くにはちっとばかり遅くないかい?子どもはもう寝てる時間だ。気がせくのはわかるが、明日早上がりして行った方が良い」
ウキグモは無念そうに時計を見たが、諦めてまた座った。




 次の日。
桜が左右からアーチ状に枝を伸ばす道を、2人は連れ立って歩いていた。
「花に酔っ払いそうな、お前さんの名前みたいな日和だな」
青空を透かしながら、真っ白に頭上を覆う桜を見上げてウキグモが言う。
それに対して、ハナヨイは意外なことを言った。
「そうかい?俺ぁこの時期は、山の緑に桜の白が混じるのを雲みてえだと思ってたよ。どっちかってぇとお前の名前じゃあないかい」
ウキグモと同じように桜の天井を見上げながら、また話す。
「それに花酔の花は、実は植物の花じゃねぇんだ。芸事の基本書に「花」が大事だって書いてあってね。花とは美しさではない。そして若者には若者の、老人には老人の花がある。…ってな事がね。その「花」ってヤツを身につけて、人を酔わす芸人や役者になりたかったが…結局そんな高尚なもんなんか分かんねえ内に舞台を辞めちまったなぁ」

 旅芸人を辞めた理由は、やがて失明することと関係があるのかもしれないとウキグモは思っていた。だが失明することについて、ハナヨイが本当はどう思っているのかわからないこともあり、敢えて聞いたことはない。
 ああそうか、と、ウキグモは気づいた。
ハナヨイは目のせいで、色の違いでしか桜を区別できない。
だから桜は塊としか見えず、山の桜も雲に見えるのかもしれなかった。
 新兵の時とは比較にならないほど目が悪くなっているのは分かっていた。
だがそれはウキグモにとっても痛いことなので、いつもはなるべく考えないようにしている。

「そろそろ着くぜ」
巡る思いを断ち切るようにハナヨイの声がした。
「俺は多分、視力を消しといた方がいいな」
言うと、いつも肩から掛けている鉢巻を、目隠しするように縛った。

 まだ昼下がりということもあり、酒屋はわずかしかないテーブル席も空いていた。
カウンターを挟み、主人と数人の常連客が世間話をしている。
カウンター端には、座面を高くするために何枚か座布団が重ねてある椅子があった。
そこが、いつも子どもが座って宿題をしている場所だ。
「欲を言やあカウンターに座りたかったが…仕方ない。なるべくカウンターに近い、奥のテーブル席に座るぞ」
声をかけると、狭い複雑な道筋になることを予想したハナヨイが先導するウキグモの肩に手をかけた。
「お、副隊長さんたち。今日は早ぇな」
既に少し酔い気味の常連客が声をかけてくる。
「今日が平和ってぇことだよ。俺たちもお前さんたちも気楽に酒が飲めるってもんだ」
椅子と机の位置を確かめながらハナヨイが答える。
「これもヴァサラ様と隊員さんたちのおかげだね。あんたらにゃ頭が上がんねーよ。おい、大将。お2人さんに一本」
と熱燗を奢られてしまった。手をつけていないツマミも何皿か回って来る。

 1時間弱飲み食いしたが子どもは現れず、今日は客と雑談をしタダ飲みをして終わることになるかと思っていた頃。
 カタンとお猪口が転がる音がして、机に酒がこぼれ広がった。
「おいおい。これしきの酒で酔うお前でもねえだろ」
苦笑いで、拭くものを貰おうとしたウキグモの袖が押さえられる。
ハナヨイが言った。
「…カウンター端に何かいねえか?」
ウキグモは、常連客経由で台布巾を貰いがてらチラリと見てみた。
気づかない内に子どもが帰って来ていたようで、いつものように宿題をしている。
「ここの息子だな」
言った瞬間、ハナヨイは立ち上がり、壁伝いに外へ出ようとした。
「おい、どうした。そこは机があって行けねえぞ」
慌てて腕を掴む。
「気分が悪ぃ。外に出させてくれ」
そう言うハナヨイは確かに顔色が悪い。
大将に一言断ると、急いで店から連れ出した。



 外に出たハナヨイは、店の壁を滑り落ちるように座り込んだ。鉢巻を外す。
片手で顔を覆うと指先が冷たかった。額に嫌な汗が浮かんでいる。
「大丈夫かよ。食い合わせでも悪かったか?」
ウキグモが焦ったように尋ねて来た。何も言わないと病院にでも連れて行かれそうなので、ちょっと息をつき落ち着いてから答えた。
「…ありゃあ息子じゃねーぞ」
ハナヨイには、のっぺらぼうの人形が動いているように感じられたのだ。
それがここの息子だと言われた瞬間、ゾッとした。
 完璧に同じ姿の、別の何かがここにいる。
そう思うとあまりの不気味さに、これ以上同じ場所に座っていられなかった。

「何てこった…」
ウキグモがつぶやいた。
「じゃ、帰ってきた子どもらもか?」
言葉を受けたハナヨイは頷く。
「…その可能性は高ぇぞ」
「そいつは…大ごとだ」
ウキグモもハナヨイの隣にしゃがんだ。
「昨日言ったように、この事件は被害者が多い。けど、この話は解決したことになってるから隊は動かせねえ。大した情報もなく2人でやんのはちょっとキツいぞ」
「偽物を本当の子どもだと思ってる親御さんもいるに違ぇねえ。下手に騒ぎになるのもマズいな」

 まずは秘密裡に、この小隊以上の人数の情報を手に入れる。
その上で、その子ども達全員を、本物か偽物か確かめなければならない。


2  +ジェイル・ラビスト & ジュリア

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