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最弱の年、2022(わかられたくないver.)

正真正銘の仕事納め、なぜか叙々苑弁当をもらって帰宅。野花紅葉です。

タン塩の弁当

さて、これから書くのはわたしの2022年についての「最弱・わかられたくないver.」です(「最強・わかられたいver.」はこちら)。本題に入る前に、「わかられたくない」について少し言葉にしておこうと思います。

いや、わかられたいんです本当は全然。わかってあげたいし。わかろうとしろやって思うし。でも、そうなんだけど、わかってほしいんだけどでも、「そんな簡単にわかられちゃうレベルのことだけで構成されてるわけじゃねえから、わたし」という、クソめんどくさい矜持(笑)のような自意識も紛れもなくあるのですね……え〜すごい恥ずかしいこんなこと書くの、死にてえ〜!!!!!

何においても上記の葛藤・キモ自己矛盾がわたしに付き纏っていて、例えば創作においてもこの「わかられたさ/わかられたくなさ」のバランスといつも睨めっこしてきた(結果、病んだりしてきた)わけですが、この「わかられたくなさ」、もとい、「わかられてたまるか」精神(※わかってほしい気持ちはある)はもうきっと永遠に紛れもなくわたしの中に存在していくものなんだと思って。そういう状態じゃないときの方が実は元気なかったりする、みたいな発見もあったりして。

長々と書きましたがつまり、これから書くのは2022年の「わかられてたまるか」についてのために、「わかられないように」書いています。個人名が出たりすることはもちろんなく、鮮やかな批判も具体的な悪口も(おそらく)なく/少なく、むしろ抽象的だったり自虐的だったり些末なことのように書いていく、けれども……ま、いいんだそんなこと。今更だし好き勝手書くんだわたしは

というわけで、わたしの「最弱の年2022」について、以下!

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Twitterがめちゃくちゃ嫌いになった。何もかもがキモすぎ。

・↑でも消せはしない、 “ソーシャルネットワーク” だから。「野花紅葉のTwitter」はもはやホームページであってコミュニケーションツールではなく、サブアカも最初は意識して古のTwitterの使い方してたけど最近はメモになってる。noteのタイトルだけをツイートしてる感覚に近い。

・↑↑もう本当にキモい、キモいっつーかキショい。最近だとなんだろう、あれだ、みんなもうタモリの話とかしなくていいよ、と思う。

・唯一無二ともだちと会ったときに「2022年、いい年だったわ〜」と言ったら、「そう?話聞く限りロクなことなかったじゃん」と言われた。そうなの?ちなみにこの人は演劇とか全く関係ない高校の先輩なので、だからだと思う。そうなのか。

・↑そうかも。

・確かに、二人いた唯一無二ともだち(日本語ってむず)の、一人がいなくなってしまった年だった。こいつに初めて誕生日を祝われなかった年、2022。来年で10年の仲になるはずだったのによお、バーーーーカ!!!!悲しいですね。まあわたしは永遠に好きだしマジで死ぬほどキモ人間なので、10年以内くらいにまた連絡くれたらいいなと思ってる。

・縁が切れると言えば、最強ver. に書いた最強な恋愛の相手とも、多分もう二度と会えないんだと思う。お互いどの面下げて連絡したらいいかわからないまま、きっと一生が終わる。悲しいですね。「永遠に好き」とは言ってはいけないところも。

・あとは、まあ、大変慕っていた人を自分のキモいエゴで掻き乱してしまった。そりゃあ「自分のキモいエゴでしか生きられないこと」を半ば開き直って生きていくしかねえし、「それを自分で “正解” にしていくんだよッ☆」ってのはその通りなんだが、正解にするにも当然に相手がいるのだし、 “正解” にならなかったときの、なんというか、エゴの「エゴでしかなさ」ったら本当にもう……歩きながら奇声出るわ

・↑わかった気でいるように書いたが、この人との縁が切れるのが本当に嫌だなと思う「エゴ」がちゃんとずっとあって、もう、終わらぬキショさで終わっている。

・ていうかさ、結局、自分が、「見た目の可愛い女」とか「恋愛慣れしてる女」として「いい女との恋愛」を進んで提供している瞬間があるという事実が、もうマジでクソほどキショい。求められてりゃ相手のせいにできる(キショいのは変わらない)けど、「求められてる」と無意識に思っている自分が、もう、本当、これも一人でいるときに奇声を発するレベルで耐えかねる。

・コロナ禍において色々な生き方が自分にできることを知った、という前段階があって(2021/1/1に書いていた)。

・↑2022年は演劇めっちゃやったし言葉をたくさん書いたから「文筆の人」とか「演劇の人」の生き方で生きる時間が多かったけど、例えば「キュートな女」として六本木や西麻布のバーで飲む生き方も、「献身的な女」として甘い恋愛関係ひいては婚姻関係に全力投球する生き方も、わたしにはきっとまだあるし、実は今年、ちょっとその時間たちも生きてみた。ちなみに全ての「」の後には(笑)が付きます。

・↑↑それによって、「自分がこの人にとってどういう生き方をしている人間と思われたいか/べきか」みたいな観点での人付き合いが非常に増えてしまって、なんかもう、それって本当に嫌だなと思った。なにが嫌って相手は悪くな(い場合が多)く、「あ、あなたはわたしを女だと思ってたんですね」とか「作家だと思ってたんですね」とか、そういう驚きや絶望や付いていけなさが勝手に存在した。これは明らかにわたしの人間性に起因するので今までも在ったことなんだろうけど、2022年が一番実感の瞬間が多かった、気がする。

・最近、右の鼻の穴だけから頻繁に鼻血が出る。

・呑気症が慢性的な年だった。あと胃がよく荒れた。3ヶ月おきに甘いものを大変よく食べ、6ヶ月おきに過食衝動が抑えられない年だった。

・なんか、思っている/思われている何倍も、何にも興味がないんだなわたしって、と思い知った年だった。これは紛れもない事実であり、悲観しているのではないが焦燥はいっちょまえにしている。悲観するとすれば、興味はねえくせに責任感だけは無駄に勝手に強いという己の人間性である。

・↑自分が心底興味深く面白がれること(=マジでどうでもよくないこと)が、自分の恋愛しかねえ。きめえ。

・↑↑街を歩くたびにほぼ毎回、「あ〜通り魔がわたしだけを刺してそのまま捕まってくれたらいいのに」と思っている。ほぼ毎回、例外なく思いながら歩いている。別にマジで病んでなく、デフォです。

・しかしまあ、わたしは2023年「文筆の人」「演劇の人」で生きていきたいし、いっちょまえの焦燥を無視できぬところまできたので、あれです、本をたくさん読もうと思います。ここまで読んでる人なかなか居ないだろうからスーパー恥を忍んで告白するんだけど、わたし物書き始めて来年で10年なんだけど小説とかほとんど読んだことなかったんだよね。好きな本は『ギャグマンガ日和』だし。

・そして他の抱負に「書きまくる」があるので、毎週読書感想文を書こうかなの気持ちがあります。ちょうどTwitterキモいし、でもnoteは一応「いつか台本にする言葉たち」がテーマだから、マストドンとかでやろうかな。

・実は、一番最初に読む本は決めていて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』にしようと思っている。なぜなら唯一無二ともだち(今年いなくなっちゃった方)に勧められたことがあるから。こいつは折に触れてわたしを動かすが、「動いたよ」と報告する術は今年なくなってしまった。バーーーーカ!!!!と言うこともできないが言いたいので言います己に。バーーーーカ!!!!

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はあ……箇条書きのその全てがダセえ。もうすごい。でもやはり(?)、筆は進みました。

読んでもなーーーんにもわからないと思う、伝わったところも伝わりきれはしないのだと思う、なぜならそのように書いたから。でもそれでも、読んでくださった方がいたなら大変に感謝をしています。あなたのおかげで文章を書くことができて、今まで生きているので。

来年もそうだといいなあと心底思ってしまうのだけど、そのために、わたしはとにかく諦めないでいようと思います。

2022年、ありがとうございました。願わくば2023年も、あなたとわたしが互いに健やかに愛を表明しあえる関係でありますように。愛の勝利を祈って!


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