「わかりたがられても嬉しくないから」
このところなんだか生きる気力のない日々が謎に続いていて、やばい。絶対に愛さず絶対に慣れず、しかし脱せないことに絶望しないように/ために今日も文章を書きます。
「私は」かもしれない。「今は」かもしれないし「その方法じゃ」かもしれないし、「君に」かもしれない。ともかく、わたし自身は、人にわかってもらいたいという感情には恥ずかしくらい覚えがあるけど、わかりたがる態度を正義のように振りかざされることを愛せない自分にもたくさん覚えがある。まあでも自分も死ぬほどやってきたんだと思う。
手段と目的がゴチャゴチャになっちゃってるっていうかさ、わかってもらうってことはゴールテープを切ることじゃないのに、拒絶されることなど微塵も想定していないようなキラキラした目で「これさえ達成できれば我々はより深く結びつけるね!」と踏み込まれると、受け入れなかったこっちが悪みたいでなんか、うん、胸糞悪いよね!!!!普通に強要じゃんね。と、思うわけです。
この記事にも書いたことなんだけど、自分が対話だと思っていることが回答を強要したうぜえクイズになってないかは気をつけたい、主観的に瞬間的に実感するのは難しいのかもしれないけど。……難しいのかもしれないので最近わたしは「会話ってそもそもがありえないじゃねえかな」なんて極端な絶望の中にいます。元気になりてえ!
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