見出し画像

#深夜の下書き供養 ⑥ 「生きようとする意思こそが美しいのではないですか」

生きてること自体ではなく。野花紅葉です。

というスタンスで生きているので、自分が生きようとする意思がない状態になっちゃうと自殺のことしか考えられなくなる。字面が強すぎてアレだが、わたしにとっては結構ナチュラルなもの(不健康であるとは思うけど)。

生きようとする意思がないと人は生きていられない、と無意識に思っているんだと思う。もちろん「意思がないなら死ね」と他者に強いることはしない、もちろん。それに、この思い込みがあるからこそ人が生きていることそれ自体に、素直に感謝できる。他者に対しては。自分には向かない。

生きようとする意思を、わたしはこまめに生まねば生きていけないタイプなのだ。今日好きな人と会えることでもいいし、明日観に行く映画でもいい。そこまで味わいたくない予定(バイトとか)だと意思は生まれないし、魅力的なことでもあんまり長期的だとそれを「自分が生きて味わう」というイメージが湧かないから、生まれない。意外と厄介。ここまで自己分析できていても「生きようとする意思」とやらを簡単に軽率に頻繁に見失ってしまうのも、厄介。だからこそ非常に美しく思っているのだろうことも、厄介。

ツイッターの下書き欄

数日前まで「マジ病みぴえん🥺」って書いてたわたしが、こんな時間にこんな内容を更新したらきっと心配してくれる人もいる(いてね?)と思うのですが、最初に書いた通りこれは、自分にとってはとってもナチュラルなことなのです。加えて、生きようとする意思を持てるようなことを「自分が生きて味わう」イメージの湧くレベルまで、ひとまず、ようやく、持って来れたので大丈夫です。あとは実行と達成だけ……まあそれが最も難しいのだが。ただ「生きようとする意思がないこと」より絶望的なことはないので。だから大丈夫です。

それが何かを本日9月18日にリリースできる予定なので、こんな時間でこんな内容ですが更新しました。それとは別に、9月18日は好物のニンニクを死ぬほど入れた餃子を作りまくって食いまくる予定で、最高です。「生きようとする意思」とはこういうことでも全然、絶対いいのだ。

投げ銭はこちらからできるそうです。Limited❤︎記事もよろしくお願いします🍁