見出し画像

「ルーティーン」そこに意味はあるんか?

ルーティーンが苦手。そう思っていたけれども、どうもルーティーンそのものが嫌いなわけではないのかもしれない。という思いに駆られている。

というのも。ここ最近、毎日何をしようか考えることがそろそろ辛くなっているからだ。朝起きるときから、何時に起きようか、まず何の仕事をしようか、今日は本社へ行こうか、どこで仕事をしようか……。あー苦手。

考えなけらば決められない。そんな状況が多いと、それはそれで疲れる。しなければならない仕事があるって、ある意味では楽なのかもしれないと思った。そればかりが続いて嫌だったはずなのだけど……。あれ、矛盾している。

「好きな場所で働きたい」と思っていたのだから、好きな場所で仕事をすればいいじゃん!カフェとか図書館とか、すぐそこに気分の上がる場所はあるよ?心の中のわたしがそう、問いかける。

でも、午前中はベッドの上でごろごろ。今のわたしにはこれが「したいこと」のようだ。

本当はだらだら過ごしたくないのに、どうしてだらだらしてしまうのだろう?結局今も、この時間(深夜)になって熱心にnoteを開いているし。だいたい、仕事の日であるにも関わらず「するべき」ことがないという状況が状態を悪化させている気がする。

そうか、「するべき」という主体的な思いや納得感、情熱みたいなものがないと生きた心地がしないみたいだ。他人からの「するべき」と自分から湧き上がってくる「するべき」は全く別物だと思う。

となると、もしかしたら「意味のあるルーティーン」であれば、嫌ではないのかもしれない。できちゃうのかもしれない。まだ自信はないけれど。

自分のしている行動に「そこに意味はあるんか?」と問いかけ続けてみる。そうしたら、無意味だと感じる時間を無くすことができるかもしれない。無意味だと思うから無意味になってしまうんだとも思うけれど。

いくら試みても意味づけができない場合は、今の自分にとっては無意味だ、ということにしよう。静かに…note毎日チャレンジをしてみようかと思う。自分の心の変化を記録していきたいし、こうやって言葉にすることで自分をしっかりと見つめていきたい。まずは12月まで。続くかな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?