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小さな毎日

二歳になりたての息子は言葉が遅く、かなりの人見知りボーイである。そんな彼にとって三回目の一時預かりの日だった。

あさ、ママがボクのお弁当を作っている!と気付いたときから、「あ!あ!」と嬉しそうにソワソワし始めた息子。トイレにもクローゼットにも、ママの後ろをぴたりとつけてまわる。
お弁当を入れたリュックを小さい身体に背負わせ水筒をかけてやると、とても誇らしげに二カッと笑った。

エレベーターでご近所のおばあさんに会うと、控えめながらもひるまず手を振った。楽しみな気持ちが、いつもの人見知る気持ちよりも少しだけ大きい。ためらいながらも彼は自分で一階のボタンをぽちんと押した。小さい身体にやる気が満ちている。小さな身体に小さなリュックを背負った姿はただでさえ愛おしいのに、意気揚々と歩いていて更に愛おしい。

母親の勘で、今日の息子は泣かずにいけるんじゃないかと思っていた。なんとなく、一時保育のこの場所やパターンを把握しているような気がしていた。
エレベーターの中で、「このあとママとばいばいできる?」と尋ねると「ん」と小さな声。不安ながらも頑張ろうという、二歳なりの気持ち。

だが、預かり室の前にくると不安が再燃してしまった。
尻込みする息子に気づかず、保育のおばちゃんが「これもらうよー」と水筒を取ろうとすると、火がついたように泣き出し、パニックに。うわあああああと泣きながら、まだ開いていたエレベーターに飛び込んでしまった。慌てて私が抱っこで戻し、「大事なかっこいい水筒やもんね。じゃあ、いったん水筒このままにしようか。ね、まだ取らなくてもいいからね」となだめると、下唇をつきだしてヒクヒクしながらも水筒を脱ごうとした。
「ん?どうぞできるん?」
「ん」
ちょうどそのタイミングで、先程のおばちゃんとタッチ交代で別のおばちゃんが出てきて声をかけてくれた。
リュックも下ろし、「ここに息子ちゃんのお弁当があるからね」というと、ヒクヒクしながらそれを掴んで、「あい」とおばちゃんに手渡した。
「あ。そのTシャツ、ピーポーだね」
「キュウキュウ」
「そっか、キュウキュウか」
そんなやり取りをしてるうちに息子は我を取り戻し、自分から靴を脱ぎにいった。前回前々回は大泣きで抱きかかえられていったはずの彼。今日は靴を脱ぎ、靴箱の前で一度お茶を飲み、そのままママを振り返ることなく入室していった。

楽しい場所へ行くという信頼感。自分はやれるという自信。
一度不安になってパニックになるも、すぐに自分で立て直した二歳児の強さを見て、ママのほうが泣きそうになった。ヒクヒクしながらも、「そうだ、ここで水筒をどうぞってするんだ」と気づき、思い直して、泣きながらでもやりきった、かわいい小さな人。
あの健気な姿を目の当たりにできることが、子育てにおける一番の幸せだと思う。


そして、特性ありのお絵描き愛嬌マンこと娘は、はやいもので今年で六歳になる。
息子を一時保育へ預けているあいだ、娘と某スーパーの無料企画「はじめてのおつかい体験」へ参加することにした。

まずは事前準備として、買うものをリストアップしなくてはならない。娘が好きなもの、買いたいものを並べれば良いやと思っていたところ、娘が不満の声をあげた。
「それじゃあおつかいにならない」
ほう。この子はどこかでおつかいの概念を知ったのだな。そして、家族に何かを買ってくるということを、役に立つということをしたいと思っているんだな。
言われてみればそうだねといって、リストの四つの欄をそれぞれ、家族四人の好きなもので埋めることにした。
とうもろこし、ぷるんぷるん、鶏もも肉、カフェラテ。それぞれ量と備考も書き添えておく。
「どきどきしてきた〜」
「もし、変なおじさんが怒ってきたらどうする?」
「楽しみ!」
「お釣りは娘ちゃんのものにしていい?」
不安と期待と興奮でそわそわしだす娘。
そんな娘を尻目に、親は大慌てでスーパーの見取り図と買い物リストをラミネートし、カバンにぶら下げ、エコバックを用意し、子供財布に千円を入れた。

ぎりぎり時間に間に合ったスーパーは、休みで混雑していた。
体験では、店員のおばちゃんがマンツーで伴走してくれるらしい。親は『見守り中』のアームバンドをつけ、カゴも持たず後方からそっと見守る。
娘はすごく緊張した様子で、うつむき、おばちゃんの言葉にもほとんど反応していないようだった。
不安と高揚と緊張と集中。
それでもいつもの娘らしく、「パパとママは見ないで!」と強がりの念押しをして、いざ買い周りへと出発した。

不審者みたいな動きだし、このアームバンドめちゃくちゃ助かるねと言いながら、親はシャッターチャンスを伺いつつ、人を避けつつ、隠れつつ、ふわふわとついて回る。

生鮮コーナーでは、とうもろこしがないのできゅうりに変更したらしい。「とうもろこしがなければ、きゅうりやにんじんを買えば良いよ」ということはリストの備考欄に書いてあったのだが、おばちゃんが困ったようにこちらへと駆け寄ってきた。
「きゅうりが、何本いるかわからないそうです」
とうもろこしが一本と書いてあるんだから、きゅうりも一本(一袋)で良いじゃない。それくらい分かるじゃない、適当で良いのだわよと思ったが、そこでつまずくのが娘である。不安と融通の効かなさで一番困っているのは、他ならぬ娘自身である。

おばちゃんに「一本で」と伝えるついでに「娘はじっくりタイプなので、お時間許すかぎりで良いので、見守っていただけると」と言い添えておいた。
オッケーだわよと、おばちゃんは絶妙な距離感でサポート態勢をとってくれる。

途中、『ぷるんぷるん』がなにか分からなくておばちゃんを困らせてしまった。Qooのぷるんぷるんゼリーは我が家には欠かせない、育児の救世主である。どんなに息子がぐずっていても、どんなに姉弟で喧嘩をしていても、「ハイハイ。じゃあもう、ぷるんぷるん飲んで良いよ」と言いさえすれば、平和が訪れる。やったーといって子どもたちが自主的にぷるんぷるんを取りに行く。そして、いっときの平穏がおとずれるのだ。ほんのいっときの。しかし貴重な。

そんなぷるんぷるんを無事に見つけた娘は、おばちゃんのエスコートにより最難関の鶏もも肉もゲットすることができた。
リストの商品すべてをカゴにおさめた娘がレジへとむかう。
体験だし、レジはお釣りの受け渡しまで対人でやるものだと親は思っていたのだが、違った。商品登録をキャッシャーさんが行ったのち、娘は自動会計機のほうにまわされた。

そこで娘は何度目かのフリーズをした。
「ちょっと不安なんだよね」
おばちゃんの声が聞こえ、仕事の都合もあってか、おばちゃんは別の男性の店員さんとチェンジする。
あとで聞いたら娘はそのとき「千円しかない…」と言っていたらしい。きっと、いつもカードで決済をする親の姿を見ていた娘は、自動会計機はカードしか対応していないと思って、困り果ててしまったのだろう。

時間はかかったが、店員さんの誘導のおかげでなんとか娘は会計を済ませることができた。真剣な表情で娘がお釣りを財布にしまっていたところ、買い物終わりのおばあちゃんたちに「偉いわねえ」としきりに声を掛けられていた。

五歳児が大人に混ざり一人で商品をエコバッグに詰め終えたところで、体験は終了。
親と合流し、購入した商品を披露してくれた。
「鶏もも肉。これはね、オカイドクな商品だったの」
娘ちゃんすごいねえありがとうねえと話していると、先程の店員さんがなんと額入りの表彰状をもってきてくれた。読み上げられる文面に真剣に耳を傾ける娘。反応がうすいように見えているかもしれないが、親にはわかる。彼女はいま、めちゃくちゃ喜んでいます。
さらにそのあと『おかいもの達成』ポップまで貸してくれ、表彰状をかかげる娘と三人で写真を撮ってくれた。
なんて至れり尽くせり。

改めて店員さんたちにお礼を言い、その場をあとにする。
娘は今回のおつかいで使った金額をパパに伝え、お釣りもきちんと返却した。
そして彼女はその後も、だいじに表彰状を抱きしめながら店内を歩き、車の中でもだいじに抱きかかえ、家に帰るとママに再度文面を読み上げさせたうえ、ビデオチャットでばあばに自慢し、壁のよく見えるところへと飾った。

表彰状をじっと見つめ誇らしそうにする娘に、私と夫は何度も目配せをし、目を細めあった。
「娘ちゃん、このおつかいの習い事に通いたい」
「何年生?ってきかれた。小学生みたいっていわれた」
「それ、娘ちゃんがママに買ってきたカフェラテ?」
それからしばらく娘は、さきほどスーパーで自分が達成したことを、じっくり胸の内で反芻しているようだった。

人一倍、不安の大きい娘。でもそれと同じかそれ以上の、やる気を持っている娘。
達成したいという情熱。そして、達成できたという高揚。
娘の心の中の誇らしさが私の心まで満ちてゆくようで、またもや私は泣きそうになってしまった。


しかしのんびりする間もなく息子のお迎えの時間である。
保育所の建物のエレベーターを降りるとそこには、姉によく似た、達成感に満ちた笑顔がひとつ、私を出迎えてくれた。誇らしげに出かけて行った小さいひとは、さらに大きな誇らしさと少しの疲れとともに帰ってきた。

ずっとニコニコで遊んで、お弁当もたくさん食べましたよと、担当さんから報告を受ける。
今度もしっかりリュックと水筒を身に着けて、かっこよく帰り支度を整えた。
「楽しかったねえ」
帰り道のママの問いかけに、息子は「うん!」「うん!」と、はっきりと応えた。言葉が遅くてなにかと「うん」ばかりの息子だけど、今日のその「うん」が誇らしい「うん」だということは、ママ聞けばわかるよ。
誇らしい小さな人は、いつもより積極的に人に「ばいばい」をし、家へと帰り着いたのだった。

「パンポン」
インターホンをママに押してもらい、「ハーイ」と両手を挙げて自分で返事をして、家への中へと入る。
手を洗うと、姉が「これ、娘ちゃんが息子くんに選んで買ってきたんだよ」といってぷるんぷるんを飲ませてくれた。



小さな達成と、少しの成長。
子どもたちのそのひたむきな眼差しは、誇らしげな笑顔は、とてもささやかで、しかしこの世の何よりも美しい。

だからどうしてもママは今日の二人の姿を書き留めておかなくてはならなくて、娘に買ってもらったカフェラテを手に、こうしていま久しぶりの夜ふかしをしている。


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