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「普通こうする」は理由じゃない

一つ前に「地味なことをしっかりやれるのは、なぜ(why, for what)を説明しているから」という話を書きました。

考えてみれば、その逆も大切ですね。つまり、何かをやる時はとことん目的に合わせる。「普通こうする」を超えて行く。「普通こうするから」は理由じゃない。

たとえば授業や研修でグループワークをするとその後は発表、とわりとパターンとしてなりがちです。でも、グループがたくさんあってテーマが一緒だと、途中から「重複が多くて退屈だなあ」となりがちではないですか?

また、最近強く思うのは、「ここが自分たちの案の売りです」と1点だけ取り上げる力を身につけて欲しいな、ということです。他のことも説明するにしても、まず「売り」(肝)から入り、聴衆の注意を引きつけて欲しい。そしてそういう売りのあるプランを作って欲しい。

そんなことを目的として考えると、グループワークの後も単なる発表と違った方法を取りたくなってきます。例えば、一つ目の班に「うちの案の売り」を1点だけ、30秒で言ってもらいます。二つ目の班には、「一つ目とかぶらない」うちの売りを言ってもらいます。三つ目以降は売りというより強化策になるかもしれないけど、これらを板書して行くと、クラスの力を結集したものが短時間で出て来ます。

写真は早稲田LDP理論とスキルDay6。この班のプランの売りは...?

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