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019 事実と意見、そして根拠なき一般化 /こんな学校あったらいいのに

私立大学の観光学部が、千葉県鴨川市から撤退します。

撤退あとは、どうなるんだろうか。

そこに、地域活性化に貢献する、こんな学校ができたらいいのにという妄想です。

しばらくは、地域活性化を学ぶためのテーマを考えていきます。


考え、伝えるために

学ぶということは、単に知識をためこむことではありません。知識を用いて考えることに主眼があります。

そして考えたことを、相手が理解し納得するように伝える必要があります。

そのために、どのようなことに気をつけなければならないか、基本のキとなるポイントを取り上げます。


事実と意見

「この靴下は一足1,000円です」

「この靴下は値段が高い」

普段の会話の中で、ごく普通に交わされるような内容です。しかし、この2つの文の位置付けは異なります。

「この靴下は一足1,000円です」というのは、『事実』です。誰から見ても同じことですし、実際に店に行って値札を確認すれば確かめることもできます。

いっぽうで「この靴下は値段が高い」というのは、『意見』です。人によって見方は変わります。値段だけ見れば、一足300円の靴下と比較して高いと思うかもしれません。しかし足が蒸れないとか、匂いを防止するとか、高機能な靴下であれば、一足1,000円でも高くはないと思うかもしれません。

このように事実と意見は全く異なるのですが、混同されて使用されることは頻繁にあります。

しかし、課題を解決するためにどのような打ち手を取るべきか判断するために、両者の位置付けは違います。

単なる意見であれば、そこからまず意見の根拠を求める必要があります。単なる思い込みではなく、なんらかの根拠があるのか。その根拠は、事実に基いているのか。といったように。

いっぽうで、事実であれば、そこから検討を重ね、足りない事実があれば追加で集めて、さらに検討をすすめることができます。

要するに、事実に基いて検討しなければ、解決に向けた打ち手を判断することができないのです。

社会人になると、「それはキミの意見なの?事実なの?」と問われることがしばしばあります。

意思決定するために、単なる意見に従って決めることは、あたり前ですが、ありません。ですから根拠となる事実が求められます。

しかし普段の会話では、無意識のうちに事実と意見が混乱しがちです。

以下の本で、事実と意見の違いを理解し、どのように伝えるかを学んでみてはどうでしょう。


疑わしい『事実』

子どもがボクに説明する時、「みんな○○と言っているから、大丈夫だよ」ということがよくありました。

その時に「みんなって、たとえば誰が言ってるの?」と質問すると、実は仲の良い友達の一人が言っているだけだったりします。

友達の一人が○○と言っていることは事実です。しかし「みんな」は言っていません。みんなが○○と言うかもしれないし、言わないかもしれない。そのことは検証されていません。ですから、「みんな○○と言っている」ということは、事実かどうか分からないのです。

しかし、「○○君が言っている」とはせず、「みんなが○○と言っている」とすることで、一般的に通用する事実であるかのように伝えてしまっています。

こうした誤ったコミュニケーションを、「早まった一般化」と呼んでいます。

「早まった一般化」というのは、いたるところで見かけます。

たとえば、この一ヶ月の東京への人口流入が減り、東京からの流出が増えたという事実だけで、「東京一極集中の時代は終わる」、「地方への移住が加速する」と言い切るのは、本当ですか?となるのです。

統計的に有意なサンプル数を集めて検証することで、一般化できるのではないかということを初めて言えるのです。

こうした誤ったコミュニケーションを避けるためには、クリティカルシンキングが有効です。

クリティカルシンキングを日本語に訳すと「批判的思考」とされるため、粗探しといったネガティブな意味で間違ったとらえ方をされますが、そうではありません。

そもそもの前提は正しいのか?

得られた情報は正しいのか?

十分な情報は集められているのか?

思考にバイアスがかかっていないか?

そうした慎重な吟味を行って、最適な解を導こうとする思考が、クリティカルシンキングです。

帝京大学の塩谷英一郎教授の論文の中で、誤ったコミュニケーションのパターンを、クリティカルシンキングという枠組みで整理されています。
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/sogokyoiku3-05.pdf

ぜひ参考にしてみてはどうでしょうか。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。