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人生どん底を味わったサラリーマンが見つけた人生最高の生き方⑤

5話 激務


この記事では、フルリモートで最高の働き方と収入をどうやって得ることができたのかを、過去10年以上に及ぶ泥水すすり系サラリーマン人生を振り返りながらご紹介します。↓1つ前の記事
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異動先の倉庫は、「激務」という言葉バッチリ当てはまる職場環境でした。その前に所属していた倉庫では、コールセンターにいたのですが、現場も経験しておけ、という理由から突然の現場作業員として別倉庫に異動。

まず、1日の入庫と出荷量がえげつなく、その量に対して人の数がまったく釣り合っていないという、上司のどんぶり勘定にも程がある仕事配分でした。

また、「夕礼」なる定時の18時から開かれる部門長たちの集会があり(実態はたばこ休憩)そもそも定時で仕事を終わらせるという気はさらさら無いというスタイル。私が勤めていた期間で21時より早く帰れる日は1日もありませんでした。

月の平均残業時間は100時間が基本。しかも土曜日は月に2回出勤日があり、2回以上土曜出勤をしないと休出扱いにならないので、完全週休2日制の会社に勤める方で換算すると、120時間くらいは月に残業していた事になります。日の残業が4時間~5時間は当たり前という世界線で働いていました。

中には、家に帰ってもすぐ朝になるので泊まっていった方が楽、と駐車場で寝泊まりする先輩もいるような職場でした。

労働時間もさることながら、労働内容もスーパーキツくて、コンテナ内の床から天井までぎっちり敷き詰められた食品などを、全部手でパレットにおろしていくという作業を、40フィートコンテナ(12M)3本/日、真夏の炎天下の中(コンテナ内は50度近くなる事もあります)行ったりしていました。


コンテナ内は酸素も薄く、まじで劣悪環境。時々海外から一緒に運ばれてきたゴキブリがコンテナ内で暑さで死んでいたり、トマトの瓶が船の揺れで割れて腐り果てていたりする中を、一心不乱にコンテナ内部に突き進んでいくという苦行を行っておりました。

あとは、住宅用の扉を日に700~1,000枚くらい2~3人でピッキングをしたりしていたので、単純計算300枚以上家の扉をパレットに永遠重ねていく作業をしたりしていました。(この合間に先程ご紹介したコンテナの荷物を降ろす作業も行います)

一緒に働く人たちも「タツ君、泣いてもいいんだよ。俺なんかさ、毎日家に帰ったらまずシャワー浴びながら泣くのが日課だよ・・・」みたいな感じで、みんな疲弊しきっている職場でした。

最終的には腰痛と精神的に疲弊してしまい、会社を退職する事を決断しました。辞める頃には毎日筋肉痛と、手首の腱鞘炎がひどくなり、夢で手首を切断される悪夢で夜目が覚めるくらいには、体がボロボロの状態でした。

仕事を辞め、自分探しの旅と言えばかっこよく聞こえますが、現実逃避旅にでかける事に決めました。バイクで東日本~北海道をキャンプしながら回る旅に出ました。

キャンプなんかしたこともなく、テントも張ったことがなかったんですが、節約のためキャンプで行こうと決意。

つづく

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