私たちのシスターフッド
昨晩、チルジェンダーのおこめと私の友人の3人で夜通し語り明かした。
ことの発端は、私がTwitterで見かけてしまったトランス差別のツイート。それを見た瞬間、言いようのない怒りや悲しさややりきれない思いが体の底のほうから噴き出してきて、私はどうしたらいいのかわからなくなった。
自分が生きている社会、これから変えていきたいと思っている社会に、誰かを排除しようとする思想を持った人がいることに対する絶望のようなものに、涙が出そうだった。
自分一人でこの思いを抱えきれない。そう判断した私は、おこめに連絡をした。おこめにまで嫌な思いをさせることに少し気が引ける気持ちもあったが、とにかく自分の心に侵入してきた黒いものを発散したい気持ちでいっぱいだったのだ。
おこめは快く、電話で話したいという私に応えてくれた。お互い期末期間で忙しいというのに、感じたことや怒りをシェアしまくった。
どうしようもなく嫌なことに遭遇した時、それを理解してくれる誰かと思いを共有することほど、気持ちを晴らしてくれるものはない。
そんなこんなで長電話をしながらゲームをしたり、時には課題を進めたりしていると、私の友人がやってきた。
ちらりと彼女の顔を見ると、目が腫れているようにみえた。表情もどことなく暗い。
「元気?」と声をかけると、「元気ではない」と返ってきた。
なにかがあったのだなと確信して話を聞くと、彼女はその日あった嫌なことを吐き出してくれた。
詳細は省くが、簡単に言えば彼女は自分が女性であるがゆえに受けた男性からの理不尽な対応や、蔑視的な発言にいい加減飽き飽きしていたのだ。
女性よりも物分かりが良いそぶりを見せなければ気のすまない男性。
会話の主導権を握りたがる男性。
性的な言葉を言って女性が喜ぶと信じている男性。
自分の加害性から目を背けたがる男性。
感情に寄り添うことをバカバカしいと思っている男性。
そういう人はこの世にたくさんいる。それはこれまでの社会と社会を作ってきた権力者(シスヘテロ男性がほとんど)が作り上げてきたマスキュリニティやホモソーシャルな空間の影響であり、多くの女性たちはずっとそうしたものに苦しまされてきた。こうしたくだらないものの存在に気が付き、抜け出そうとしている男性もいるだろう。男性だってある意味こうした観念の被害者だ。でも、それがどれだけ難しいことなのか、想像するだけで胸が痛くなる。
彼女が話したことは、彼女が個人で経験したことであり、「個人的な」できごとであることに間違いはない。しかし、これはまったくもって個人的な問題ではないのだ。
なぜならば、女性として生きているだけでこうした男性からのマンスプレイニングや蔑視発言に遭遇する可能性はとてもとても多くて、なにかしら経験のある女性がほとんどだから。
彼女の怒りや悲しみは、私たちのものでもあった。
もちろん100%彼女と同じ経験をすることはできないし、すべてを理解することはできないが、そうした災いが自分の身に降りかかることを想像することは簡単だった。
私たちは彼女の経験したアンチフェミニズム的な男性の言動を聞いて、大いに笑い合った。だっておもしろくてしたがないのだ。私たちの苦しみを1ミリも理解しようとせず、自分の優位性を誇示したいだけのその人の哀れさが。
ジェンダーに関わらず、差別や排除に遭遇した時のどうしようもない気持ちを仲間内で笑い飛ばすことは、自分の心を守るうえでとても有効な手段だと思う。こうしたことを笑える人というのは、「差別なんてくだらない。ありえない。」「差別をするやつはどうかしている」という前提を持っていて、そうした仲間の間では差別をする側とされる側のパワーバランスを逆転させることができる。それができるだけで、私たちは"非力でかわいそうな被害者"から主体性を持った人間になれるのだ。
私たちにはシスターフッドがある。私たちは連帯する。
これまで受けてきた差別や偏見による蔑視によって、共感することができるのだ。話を聞き、苦しかった記憶を共有して、差別に立ち向かう力に変えられる。
女は感情的だとよく言われる。でもそれはきっと、女性は社会構造の中で感情的にならざるを得ない立場に置かれてしまっているからに過ぎないのではないかと、友人が言っていた。本当にその通りだと思う。
感情の力で、女性たちはつながることができるのだ。もちろん女性だけに限らない。マスキュリニティに苦しめられ、嫌気がさしている男性たちとも感情によってつながることができる。
嫌なこと、ありえないこと、信じられないことを、もっともっとみんなと共有して、声を上げていきたい。改めてそう思った夜だった。
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