田舎の紳士服店のモデルの妻 宮下奈都 文藝春秋 物語の主軸は女性の社会的な立ち位置に対する葛藤だけど、家族に限らず他の登場人物の描写が、人の“個性”たるものをとても穏やかに、伝えてくれる。 --- 名前がつくものになるたび、そうあるべきだという姿になることを強いられるような、カテゴリに収容されていくような、漠然とした不安をどこかで覚える瞬間がある。 その不安感を知っていながら、関係性に名前をつけて安心を得たり、自分と異なるものだと避けてみたりしている私の存在がある。
別れ際、振り返ることなく行く人が好き。 改札で見送る時、私は相手が見えなくなるまで待つ。 相手が振り返った時に、私がいないとがっかりするのではないかと心配になるからだ。 私の好きな人たちは、みな振り返らずに行く。 (もちろん振り返ってくれるのも嬉しいのだけど) 私と一緒にいた世界から、私のことをすぱっと切り離して、自分の世界へと帰っていく人の背中が素敵に思える。私の心配などもろともせず、去り行く人が好きだ。 そう思いながら今日も改札で友達の姿が見えなくなるまで待つ。
さんかく 千早茜 著 祥伝社文庫 自分が自分でいられる環境を諦めずにいることは意外と難しい。気づかぬうちに相手に合わせていたり、蓋をしていたりする。それは自分にだけ起こることかと言うと、否。気づかぬうちに相手に甘え、自然と合わせてもらって、蓋をさせている。ましてや、自分が相手に与えている側だという錯覚さえも持ちながら。 長くを共にする人とどう在るべきか、時折考えさせられる。この本もまた、その機会を与えるものだった。 友人に父を紹介したとき、「家族同士のやり取りなの
クリスマスに向けて、どころかなんなら当日にリースを作ってみた。 ドライフラワーの種類が豊富なことで有名なお店に行って、気に入ったものをとにかくあれこれと抱える。 あまりに種類が多く、同時に頭も抱える。 もはや花を抱える私が愛おしくなってくる。 仕方がないからいいなと思うもの全部抱えて (こんなことは滅多にしない、クリスマスの特別!) ユーカリだけ生のを使え!とおばちゃんに言われて、1番でっかいのを選んでもらう。 わさわさの草花を抱えて街を歩く。なんて素敵な日。 黙々
餃子倶楽部製作の神戸のまちぎょうざ。 自分のことでもなければ知らないお店ばかりなのに、その手触りからか、語られたエピソードがすんなり自分に馴染んできた。ページ数にすれば多くはないはずだけど、展覧会を見終わった時の感覚に近い質量だった。紙のちょっと切れ端が残るのも、これまた素敵ZINE。 餃子を包むのが好きだ。タネをどのくらい入れるかとか、ひだをいくつつけて包もうかとか、手のひらの上の小さきものに、集中する時間。 実家では休日に餃子の日が存在した。だいたい、家族みんなで包む
17:30定時の世界で生きているので、17時くらいにはすでに血糖値が下がって朦朧。 まあ多少はやむを得ない…とそうこうしているうちに18:40くらい。血糖値爆下がり。退勤。 帰り道はらぺこエネルギーゼロモードでてくてく歩いている時間、なぜかどうでも良いことを思ったり、考えたりする。おそらく、ただお腹が空いている。 ただお腹空いてるが故に発生するこの時間が何となく好きだったりする。