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アボカド・ルーティン。

まだ硬い。種がうまく取れない、熟れてないアボカド。まあいいか、食べるのは自分一人だし、と種をつけたまま強引に包丁で乱雑な形状に刻み、手で種を取った。お湯が沸いた小さい鍋に、適当な分量のパスタを強引に押し込める。

自分ひとりの昼の自炊メニューは、だいたいパスタだ。一緒に食卓を囲む人がいない時の献立はルーティーン。相手がいないと新しいチャレンジをほとんどしない。

台所でパスタを茹でる度、実家に置いてあった「365日パスタが食べたい」という料理本のタイトルが頭に浮かぶ。持ち主は父。アボカドの種の取り方を教えてくれたのも、父だった。まだわたしが小学生くらいの頃、区民会館で開かれていた男の料理教室に、父が通っていた時期があった。器用に家事をこなすタイプでないし、友達は少ない。何がトリガーになるのかは知らないが、突如として、習い事を始めたことが何度かあった。一度始めたら長く続ける方だ。


ある日、スペアリブのママレード煮と、付け合わせにアボカドのサラダを習って帰ってきた。スペアリブ、ママレード、そしてアボカド。料理にジャムを使うんだ!という新鮮な驚きとともに、初めて聞いたカタカナの素材を記憶した。


料理教室から帰る度、覚えたての料理を自宅の台所で再現する父を、幼心に微笑ましく感じていた。母は、自分で調理した方が手早く美味しくできるにも関わらず、父の気持ちを損なわないように気を配り、「わー、パパ上手やね!」と褒めていた。「あかんわ、ちょっとスペアリブ煮詰めすぎた。もう一息煮たらええと思ったんやけど、あの時に火を止めとけば良かったんや。」と、ネガティブな自己評価を繰り返し口にする父を面倒臭く感じながら、味見をし、母と一緒に「大丈夫だよ、美味しいよ」と言った。


スペアリブの失敗を挽回するかのように、アボカドのサラダに着手。父は得意気に「アボガド、見ててや、ほら」と包丁の刃元をを種に刺し、くるりと手首をひねった。すると、つるっときれいに種が取れた。

「アボガド」と言う父に対して、「アボ『カ』ドちゃうん」と、母が少し冷たく呟いていた。どっちが正しいかは未だによく知らない。

その後しばらく、父が作ったアボカドのサラダがコンスタントに食卓に並んだ。父は30年近くたった今も、アボカドを見る度に、スペアリブ失敗エピソードを繰り返し語っている。


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