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相手によって話したい話は違うから



私は、自分の生活のことは、
あまり詳しく書かないようにしている。

身バレしたくないからだ。笑


リアルの私を知らない人に、私の個人情報を知られるのが嫌なんじゃない。


むしろ、逆だ。


リアルの私を知っている人に、私の心の内を知られたくないのだ。


もちろん、もしバレても、別に困ることは書いてない。人の悪口とか、バレて困るような情報は書いてない。

ただ、ちょっと、いやかなり、恥ずかしいだけだ。

たとえ気付いたとしても、わざわざ私に言わないで、そっと見守っていてほしい。笑



そもそも、ここ、noteに書いてある内容を、リアルの友人や家族と全てシェアして、想いを分かち合いたいと思っていない。


ここでしか書けないこと、ここにいる人たちとしか分かち合えないことがたくさんあると思っている。


だから、私はわざとリアルとnoteで顔を使い分けていて、リアルとnoteはそれぞれ別々の世界としてアクセスしているような感覚だ。


リアルの世界で考えたことや感じたことをここに書いていることは確かなんだが、ここで発散した私の考えや感情は、現実世界にいる私の周りの人に届かなくても全然構わない。

ここでの目的はあくまで自分との対話だから、周りの人はどうでもいい。

ここにいる数人の人に共感してもらえれば、それだけで十分。大満足。



感覚としては、学生時代に近いような気がする。


学校で友達に聞いてほしい話と、家族に聞いてほしい話は全然違った。


好きな人の話は友達に聞いてほしいけど、親には聞かれたくなかった。

くだらない下ネタで笑い合いたいのは友達だけで、親には絶対に聞かれたくない。

ニュースを見ながらあーだこーだと話して面白いのは母で、友達とニュースについて議論することはなかった。

真剣に真面目な話ができる友達と、盛り上がって笑える話ばかりする友達は、別々にいた。


懐かしい思い出話をして背伸びすることなくありのままの自分でいられる友達もいれば、少しカッコつけて仕事や恋愛の話をしたくなる友達もいた。


みんなそれぞれに違う楽しさがあり、どんな時間も大好きだ。




どこにいても同じ私なのに、話す相手によって話す内容は変わるし、態度も、テンションも、感情も変わる。




なんだか、顔を使い分けていて悪いことのようにも思えるけど、そんなことはないはずだ。誰だって、場所によって自然と顔を使い分けているはずだ。


家でリラックスしている時の自分、親といる時の自分、友達といる時、好きな人といる時、仕事中の自分、それぞれ顔が違うはずだ。



私にとってnoteは、それと同じだ。

noteでの私と、リアルな世界での私は、同じじゃないし、それぞれ別々のコミュニティとして関わっていられればいいので、2つの世界は交わらなくてもいい。


だから、生活の具体的な話は書かない。

仕事や家族や、住んでいる場所のことなど、詳しいことは書かない。書くのはなるべく、内面、考えや感情の方向で。


noteの人たちには、リアルの世界では話せない話をたくさん聴いてもらいたいし、同じように、リアルな世界では聴けないようないろんな人の話をたくさん聴きたい。



ここだから素直に話せる話と、ここに書き続ける人の言葉だからこそ聴きたい話が、たくさんあるよ。


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