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誰がためのメモリアル〜2021年三沢光晴メモリアル

三沢光晴メモリアルは誰のためのものか?今までの三沢光晴メモリアルは「ノア&三沢ファン」もしくは「団体&ファン」のためのものだった。三沢光晴が亡くなったことを受け入れるために。あるいは三沢の名を使って、団団体として生き抜くために。そういった要素が、三沢光晴メモリアルの多くを占めていた。そのことを否定はできない。

その名を冠してこそいなかったが、2020年の潮崎豪対齋藤彰俊のGHCヘビー級王座戦。この試合は紛れもなく「三沢光晴メモリアル」だった。そして敗れた齋藤は「負けたけど、俺これで前に進めるよ」という言葉を発した。これは齋藤だけでない。私おもこれに近い気持ちだった。あの試合をもって三沢光晴メモリアルの区切りがついた。それを踏まえての今年。

しかし今年の三沢光晴メモリアルはこれまでと少し毛色が違った。良い意味で「三沢光晴の色」が薄い興行。そんな印象を私は強く感じた。単純に試合数が少なかったからではない。カードを見ても三沢ゆかりの選手が多く参戦した興行ではなかった。メモリアルでよくやっていたような、大々的なセレモニーもない。

もちろん全選手が緑のリストバンドを着用した。演出で緑のライトを多く使用した。試合終了あとには珍しくスパルタンXのピアノバージョンを使用した動画を流した。などなど。メモリアル色がなかったわけではない。

しかし試合内容だけを見てみると、「三沢色」は決して全面に出ていなかった。これを深く考えていみると、1つの仮説が成り立つ。今回の三沢光晴メモリアルは「三沢光晴のために」開催されたものではないか?私は三沢光晴がノアに込めた願いを先日考えてみた。

三沢はノアを自分が活きる場所ではなく「自分以外の選手が活きる場所」として設立した面が感じられる。より深く考えると「選手が自分で考えて自由にプロレスをする場所」とも言える。そうした視点で考えると今日の試合の諸々は腑に落ちる。

第一試合は小川良成が心血を注いで作り上げた、至高のjrタッグタイトルマッチ。小川の技術にHAYATA、原田大輔、大原はじめら現代のノアjr中心選手が絡むという展開。過去と現代を技術でつなぎ、全員が活きた試合が行われた。

第二試合はGHCヘビー級タッグマッチ。一言で言えば「明るく・楽しく・激しいプロレス」。明るく楽しいモハメドヨネと谷口周平のファンキーエクスプレス。そこにいよいよ大エースの風格が芽生えつつつある中嶋勝彦と、令和の獄門鬼マサ北宮の王者組が激しさを加える。明るく楽しいだけでなく、戦いとしての激しさを担保にした、プロレスの幅を存分に見せた試合。

第三試合はGHCjr王座戦。これまで紆余曲折のあった小峠篤司が、王者としてテクニシャン進祐哉を迎え撃つ。切り返しの技術の上に熱い感情を込めた試合。「おれがノアjrを引っ張る」という小峠はいよいよ横綱として君臨するか?そうした片鱗を見せた。

セミはGHCナショナル王座戦。レスリングの差し合い。緊張感のある関節の取り合い。そこにプロレスならではの打撃や切り返しを追加する。これは王者杉浦貴と挑戦桜庭和志にしかかできない試合だった。

メインイベントは武藤敬司&田中将斗対丸藤正道&船木誠勝組。武藤の入場ガウン(裏地が緑の特注品)や丸藤へのエメラルドフロウジョン。この日で数少ない三沢色が出た試合である。しかしそれだけでは終わらない。サイバーファイトフェスのGHCヘビー級防衛戦の前哨戦として。武藤への腕攻め。丸藤への膝攻めなど、次に繋がる部分も表現してみせた試合でもある。

どの試合も通常の興行であればメインイベントたる質を保ち。しかしそれぞれが違う色をリングで彩る。ノアはちゃんと三沢の思想を残している。みんなが体を張って、自由に考えたプロレスをしている。ほかの誰でもない。三沢光晴のために、それを見せたかったのではないだろうか?奇しくもメインイベント前の煽りVTRで丸藤が「三沢さんにノアは大丈夫だと安心してもらいたい」と言っていたように。2021年の三沢光晴メモリアルは「三沢光晴がのための」興行だったのかもしれない。もしかするとあの日。後楽園ホールのどこかで「お前ら楽しそうに試合してんな」。と言いながらニヤリと笑う三沢光晴の姿が見られたかもしれない。


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