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王道プロレス=わかりやすいプロレス

2023年末からの闘魂スタイル事変によって、プロレスファンから全日本プロレスがグラついているように思われる状況。闘魂スタイルが何なのかはぼくにはわかりません。ぼくはオールジャパニーズ(フレ兄認定全日本プロレスファンの呼称)なのでそれは仕方ないとしても。「では全日本プロレスの哲学とされる王道プロレスとは何か?」と問われたときに。一応は答えられるようにしたい。そのためにある程度言語化しておきたいなーと思い、今回筆をとりました。

ぼくの考える王道プロレス。それは「わかりやすいプロレス」です。もっと掘り下げると「前知識が無くても目の前の試合で楽しませることができるプロレス」だとぼくは考えます。

「若い選手が元気はつらつに戦う」「面白い動きで観客を笑わせる」「小兵の選手が巧みな動きをみせる」「デカい選手がドガバキぶつかる」「ヒーローが勝って締める」。

連続ドラマがプロレスの魅力であるものの。一方で連続ドラマの要素が強すぎると初見の人はついていけなくなります。全日本プロレスの場合は連続ドラマ性よりも単発のドラマ。あるいはバラエティ番組(一つ一つのコーナーの内容は毎週異なっていてもコーナーのフォーマットは固まっている)のような作りだと思います。現代プロレスに必須とされるユニット抗争の要素が薄く。ある意味での個人闘争の延長線上にユニット抗争がある。そんなふうにぼくは感じています。

ホームセンタープロレスのような「プロレスファン以外を対象にした単発の大会」でインパクトを残せる。それはそもそもの全日本プロレスの枠組みが「わかりやすさに特化されたモノ」であるゆえだと思います。

これを成立させることができるのは選手に個性と腕があってこそです。役割としては様々なモノを要求される(選手が少ないせ…)ため、何でも出来る腕は必須。その上で「他の選手に埋もれない個性」がなければ観客に認知されない。特定の枠に特化するスペシャリストも大変ですが、ゼネラリストでありながら個性を活かすことも難しいです。

鶏が先なのか卵が先なのかは不明です。そもそもこの3年くらいは選手がすく…ということもあって、若手に若手の試合だけをさせ続けることが出来ないということもあったでしょう。ただしそうして機会を得た選手がそもそも「若手の試合以外」をこなせる選手だったということもあるでしょう。

そうしたわかりやすいプロレスを支えているのはもちろんスーパーエースの宮原健斗です。明るいもシリアスもドカバキも何でも出来る。それでいてどのタイプの試合でも宮原健斗としてのインパクトをとれる。

今勢いのある全日本プロレスの選手は殆どがこのタイプです。腕を持った上できちんと個性を出すという形ですね。

このあたりはやはり宮原健斗の影響を受けた選手が多いということかもしれません。

語れることは多くはないかもしれませんが、誰が見ても伝わること。それは語れることよりも武器になりうることだとぼくは思います。

王道プロレスという解釈は色々あるとは思いますが、そこを考えすぎるよりも「目の前の試合を愛せよ」がオールジャパニーズらしい考えなのかもしれませんねー。


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