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ポケットにジャックナイフ (春、雪上にて)

 会社を辞めて大学に通うことになり、私はこの4月に長らく生活の拠点にしていた東京を出ました。赤紙をもらったみたいに、何度も送別会を開いてもらい、送別の辞もたくさんいただきました。私のような者に時間を割いてやろうと思う方と知り合えたことに感謝の気持ちしかありません。

 最後の送別会は、私の好きな十条の馬刺のお店で開かれました。年に一度の春の雪が降った日で、咲きかけの桜がすっかり冷え切っていました。集まった多くは社会人になってから飲み仲間になった友人たちで、仕事も趣味もバラバラ、利害も掛け値もない付き合いをしていただいていました。それぞれに生き様を持っていて、心の底から私淑する人々です。野球ボール型の色紙と送別の品をもらいました。

 二軒目の目当てだった稲庭うどんのうまい居酒屋が閉まっていたので、暖房の壊れたメソポタミア料理のお店に流れ、シーシャを燻らせながら、酸っぱいヨーグルトベースの料理を食べました。なんの話をしたかはほとんど覚えていません。

 帰りの電車の中で、酔いざましがてら送別の色紙代わりの野球ボールをくるくる回していました。個人的な思い出話、激励の言葉、祝辞、そんなような言葉の中で、緑色の字で書かれた一言に衝撃が走りました。

「暴力の時代が来る」

ただ一言、緑色の字で「暴力の時代が来る」と書いてありました。たった8文字に胸ぐらを掴まれました。私の意識の中で言語化できていなかった感覚、具体的な問いとして概念の外に取り出せていなかった感覚がクリアカットに析出された気がしました。緑色は野球ボールの赤い縫い目の補色でした。電車を降り、寒空の下、人気のない道を歩きながら、冷たい涙が頬を切るように流れていきました。

 この言葉を送別のボールに書いたのは同い年の友人です。10年来の付き合いで3年ほど一緒に住んでいました。おそらく彼は縫い目の赤に対して、無意識化で意図的に補色の緑色を選んだものと思います。知性とユーモアに溢れた人間で、彼には良い本や映画、音楽、お店をたくさん教えてもらい、多くの影響を受けました。ああの送別会に参加してくれたメンバーを紹介してくれたのも彼です。生活面でもメンタル面でも本当にお世話になりました。足を向けて寝られません。私は彼のことを敬愛してやみませんが、彼が私に与えてくれたものほどのことを私が彼に与えられているかどうかはわかりません。

 「暴力の時代に君は何ができる? 何がしたい? 何をするべき? わかってるよな?」その言葉は、そんな彼からの問いかけであったとも思います。「ああ、わかるよ、そうだよな。」と心の中で何度も繰り返しました。数々の送辞の中で最も芯を食った言葉でした。自宅に着いてからM65 のモッズコートを脱いだ時、ポケットに送別の品が入っているのに気が付きました。袋を開けると、銀色に磨き上げられたジャックナイフが入っていました。

 それから時間が経ち、色んなことが起こりました。2020年4、5月は世の中の色々な相克や葛藤が見えやすくなった期間だったと思います。岡村のANN、検事庁法改正、テラスハウス、そして最後にミネアポリス。ウイルスも感染症も直接関係のないところで次々に問題が噴出していました。まさしく、暴力の時代の足音を耳元で感じた初夏でした。

 私自身は、アナーキストでも、暴力を推奨しているわけでもありません。有形無形のいかなる暴力もあるべきではないと考えています。しかし、誤解を恐れずに表現すれば、暴力の時代がやってくることが決して悪いことではないとも思っています。なぜなら、見過ごされていた意見や論点が掬われる時間になるからです。

 平和な時代には黙殺されている意見がたくさんあります。本当は心に引っかかることがあるけれど、言わずともいいかと思ってしまえる環境もまた、平和と呼ばれます。嫌なことが「まあいいか」で済むうちは平和なのです。それでは我慢ならなくなった時に、人々がそこまで追い込まれた時に、暴力の時代がやって来ます。裏返して言えば、暴力の時代とは言いたいことが言いやすい環境でもあるのだろうと思います。

送別のナイフはキャンプ用品の箱にしまいました。ここ最近は、新居から見える山にかかる雲を眺めながら、「暴力の時代が来る」という言葉の意味について考えています。結論は出ていません。色んな角度から長期的に少しずつ考えていくことになると思います。今回はここで終わります。さしあたって考えていることについては、別記事にしました↓




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