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ハナとくうすけに教わった事(老犬介護生活4)
飼い犬を何匹か亡くした時、もう会えない事実を認められない私は、神を信じることにした。
私が死んだら、あの子たちに会える。
あの子たちをだっこできる。
徳を積もう。
天国に行けるように。
あの子たちと天国で会う。
思う存分だっこして匂いを嗅ぐ。
これは私の一つの夢。
飼い犬を介護したい。
危なくなったら、絶対病院には連れて行かない。私の腕の中で事切れてもらう。
これは私のもう一つの夢。
介護するほど長生きしてもらうって言う前提なくして成り立たない夢。
いま、その夢は、サトのおかげで叶っている。
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実家でハナ(パグ享年9歳6ヶ月)をある日突然亡くした。
亡くなった日の事は、今も鮮明に映画のようにワンシーンワンシーン目に焼き付いている。
生き物だからいつその時が来るかわからない。
それはよくわかってる。
だけど、病院でたったひとりで天国にいかせてしまった事を私はこのまま一生悔いていくと決めた。
✳︎✳︎✳︎
ハナは我が家の初めてのパグ犬。
ほっぺたにピンクの大きいシミがあって、売られてた時はそこがマジックで黒く塗られてた。
パグは、ブラックマスクが良いとされていて、シミがあると高く売れないから隠したのだろうと母が話していた。
9ヶ月近く売れ残って、体のサイズと不釣り合いな狭い檻の中で、母を店先で呼んだ。
「ワン!」
すでに、ミニチュアダックスのネネコがいて、それまでもう1匹犬を飼うつもりなんてなかった母は振り返って、
「よし、分かった。あんたを迎えに来てあげる。待っててね。」
と約束したそうだ。
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あの日、母が少しでもハナが苦しまないように、病院に連れて行ったと言った時の嫌な感じを今も覚えてる。
あの時、病院からハナを連れて帰ろうよとなんで言えなかった?
母が一番面倒を見て飼ってる犬だから?
もし私の判断で何かあったら母は納得しただろうか?
私は後悔しなかっただろうか?
ほんとうにほんとうにまさか死ぬとは思っていなかったから。
あの時の自問自答の答えはこうだ。
何があっても、最後は、家で私の胸で看取りたい。
だから、サトの命が危なくなったら、病院には連れて行かない。
救命はいらない。
サトが少しでも安心できるなら、うちでその時を。それが一番いい。
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実家で3ヶ月の長患いの末にいったクウスケ(パグ享年13歳2ヶ月)の時は、安楽死を考えさせられる厳しい状況だった。
可愛がっているものが凄惨な姿で横たわる状態に、ただ耐えるしかなかった。
甘えたがりで、おどける姿が、たまらなくかわいかった。
いつも気の強いハナをどうした?どうした?と諌めてた。
夜はかならずピタっと私に身体を寄せて眠りについた。
母が買い物から帰ってくると、裏口前で待ちきれず、嬉しそうにぐるぐる走り回っていた。
今気づいた。
クウスケが死んでから、クウスケがどんなにかわいかったかを思い出すことを避けていた。
あの愛らしい姿の後にあるあの凄惨な光景に耐えることは、難しい。
最後に何にも出来なかった。
残酷なまでに死は時と人生のタイミングを選ばない。
だから、私は、クウスケの死に大きな悔いさえ残せない。
これは一生目を背けられない事実。
飼い犬の安楽死判断については、ずっと自問自答している。
まだ、考えは正直まとまらない。
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下半身が麻痺しているサトが真夜中に小さくワンと吠えると、眠気まなこで起き上がり、まず抱っこして頬擦りをする。
そして小さい声で聞く。
「どうしたどうした?」
体に少し力が入っているようなら、枕元に置いてある水を飲ませる体制を支える。
飲む場合、飲まない場合がある。
次に寝かし直してオムツを確認して濡れていれば交換する。
おしっこの色と分泌液が出ているかを暗闇の中で目を凝らして確認する。
分泌液が異常なら、主治医に見せるためにスマホで写真を撮る。
次に足の向きと体制を変える。
圧迫排尿を試みる。
それでしばらく、布団に横になりながら、サトが眠りにつくかを待つ。
私の心当たりが当たれば、そのまま、サトは顔を何回か振って枕に顔を埋めブフォーっと大きなため息を吐いて眠りにつく。
心当たりが当たらなければ、サトは小さく吠える。
そうなると、真夜中の長きに渡る寝る為のベストポジション探しの始まり。
枕を外したり、高さを整えたり、寝る場所を大胆に移動したり、やみくもに探し続ける。
ベストポジションが見つかれば、もしくはサトが疲れれば、顔を何回か振って枕に顔を埋めブフォーっとため息を吐いて眠りにつく。
それでも眠りにつかないときは、寂しいのが理由の場合があるので、体を密着して撫でる。
そして、それでも、それでも眠りにつかない時は、諦めて深夜にリビングに移動して朝のつもりで起き1日を始める。
この繰り返しを一晩に3〜5回。
これが、今のところのサトの夜中のお世話チャート完璧版。
たぶん、世界中で私しか出来ないやつ。
私はサトが死ぬまで一生毎晩これをやり続ける。
初めの頃は、こんなの出来るのかな?50間近の体持つかなぁ?の不安があったけど、いまは、こんな、こまぎれ睡眠の毎夜にも慣れ、逆にこの犬との言葉無きやり取りの毎夜に愛着すらわいている。
「寝ている所、ムクっと無言で起き上がり、せっせとサトの面倒を見るお母さんのその甲斐甲斐しい姿は偉いというよりちょっとコワイ」と中二娘は冗談めかして言う。そして、「お母さんは本当にすごいよ!」と突然私の手を掴んで言ったりもする。そんな娘は何度かサトがあぶなくなった時、私をぎゅっと抱きしめ支えようとしてくれる。
「お母さん、サトが死んだら、お母さんがやってるサトのお世話がなくなり体が楽になるよ。だから良くなることもある。旅行にも好きに行けるよ。楽しいこともきっとあるよ。」と小2息子は励ますように言う。お母さんが悲しむのが分かってて辛いんだね。ごめんごめん。
そんな毎日も、大切な日常です。
最近は、老犬介護は、娯楽だとすら思っている。
だって、私はサトが首を何回か振って枕に顔を埋めてブフォーッと大きなため息をついて眠りにつくときは、つい夜中でも笑ってしまうから。
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犬とは会話ができない。
犬がして欲しい事はわからない。
だから、
私の努力は的を外れてるかもしれない。
犬と人は違う。
だから、犬とは分かり合えない。
だけど、
わかりあうことが全てじゃない。
わかりたいと、知りたいと、心地よくいて欲しいと願い、よく相手を見て、何か出来ることを考え、手を差し伸べるその先が愛だ。
きっと、そう思ってる飼い主に飼われてる犬は幸せだ。
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飼い犬に突然死なれたことがある人はわかってもらえるかもしれない。
ハナが死んだ後に一番強く思ったのが、ハナが死んだ前日に戻れないかなと言うことだった。
きっとその日は何気ない日で、いつまでも、こんな毎日が続くと思ってたから、私は、いつも通り自分優先で物言わぬハナを見て見ぬ振りをして何もしてあげなかった。
明日してあげる。
慌ただしい毎日の中。
時間の余裕のある時に。
明日も同じ日が続くと思ってたから。
ほんとうにほんとうにまさか死ぬとは思っていなかったから。
1日でいいから、最後にハナの好きなことを、ハナの喜ぶことを存分にしてあげたかった。
もう、死んじゃったから、何も出来ない。
ハナやクウスケの為に出来ることは、なんにもなくなってしまった。
それが何よりくやしい。
いつ死ぬのかなんてわかんない。
明日が、その日かもしれない。
あの日から、
明日が、その日でも悔いないと言えるか?を毎日問う日々。
悔いないよ。
余裕がなくて出来ない日はあるけど、出来ることは、全身全霊。
いまサトにしてあげられる事がどんなに私がハナやクウスケにしたかった事か、よく自分で分かってるよ。
ハナとクウスケからそれを教わった。
今日は、あの時、神様に戻して欲しいと願った死の前日。
なにかしてほしいことはないかな。
頭が痒くないかな。
水が欲しくないかな。
触られるのあんまり
好きじゃないの知ってるけど、
体をくっつけて寄り添っていていい?
生後2ヶ月で君を貰い受けたので、
ちょうど17年間、
ずっとずっと私のそばにいてくれて、
ありがとうね、サト。
明日も同じように続く
当たり前の日ではなく、
神様にあの日懇願した、
死ぬ最後の前日に
タイムスリップできた
夢のような日。
それが今日。
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犬が4匹いて、ドタバタと走り回り騒がしいあの日々。
気性の荒いハナがネネコに襲いかかる、コラッという母の緊迫した大声。
クウスケがそこいら中でおしっこをしてしまうので、20畳のリビングのフローリングの張り替えを2回、文句も言わずしてくれた父。
母がちゃぶ台に包丁とまな板を持ってきてテレビを見ながら犬たちの為の砂肝処理をしていると、いつも騒がしい犬たちがピタッと止まって自分の口に入るのは今か今かと待ち受けている奇妙な静寂の一時がおかしかった。
もう作り方を忘れてしまったよという母が当時よく作ってくれたドライトマトのパスタは絶品だった。
早朝、犬の散歩に行くとまさに多頭飼いは鵜飼のように巧みに綱を引いたり緩めたりがプロ並みだった母。
もっと、朝早く起きて犬の散歩、付き合っておけばよかったよ。
隣の部屋に閉じ込めていた犬軍団にずっと吠え続けられ、気が気じゃなかった結納の日。
事を終えて結納品をせっせとテーブルの上に片付けて扉を開けると駆け込んできた犬軍団にベロベロ舐められて、もみくちゃになった。
閉じ込めてごめんごめんと家族みんなで笑った。
犬たちの威勢のいい吠え声、家族の怒鳴り声と笑い声が騒々しくこだまするあの時は、間違いなく私たち家族の最良のひと時だった。
あとで気づくんだよね。
なつかしくて騒がしいあの時に、ふと戻りたくて、涙が出てくる。
✳︎✳︎✳︎
飼い犬を死なせた人があんなに辛い思いをするんなら、犬なんて飼うんじゃなかったと話すのを聞くと、つい悲しくなる。
犬にもらった大切な人生の一時も無かったことにしてしまうの、いらないといってしまうのと切なくなる。
もちろん、その人ではないのでその人の深い悲しいお気持ちはわからないのにこんなこと思うの失礼だけれども。
そんなことはないでしょう。
人や犬は幸せになるために生まれてきたんだよ。この上ない幸せなひと時を過ごすために。
そして、死なれた悲しみもきっときっとその存在が大事だったことを思い知るための大切な人生のギフトなんじゃないだろうか。
たしかにたしかに胸が潰れそうに辛いけど。
そしてきっとこんなに、家族に豊かな笑いの絶えない毎日をくれたあの子たちを、悲しみだけで何も残さずさよならするのが耐えられなくて、私は私の戒めをこの身に刻んで毎日暮らすことで、君らのくれたかけがえのない日々を今も生きてる。
犬との日々は、続いているーーー。
by金曜日の転寝
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