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ギブとギブ 誰かの人生の物語の登場人物であること

地域のサークル活動の講師をして20年たちました。

長く続ける中で、
仕事とどう向き合うかはだいぶ変わった気がします。

教室にはリタイヤした60歳以上の人が多く、20年前は私はまだ若くて、
その年齢の人の気持ちなんて全然わからなかった。

20年の間に私は結婚、出産、転勤、2度目の出産を経験し、

教室の数も増えて今では80人くらいの生徒さんを抱え、

気づけば半世紀を生きようとしています。

年を重ねることを知り、
だんだんと「生きること」とは、
なんてことを考えるようになりました。

それは自然と
生徒さんたちが、
この教室で私に望んでることと 
通じ合ってているようにも思えます。

レッスンはだいたい2時間。
生徒さんは雨でも、風でも
元気であれば来てくれます。

私がちゃんと準備して、
わかりやすいように工夫して、
どこに疑問を持っているかよく話を聞いて、
もっと上手くいくようにアドバイスしてあげれば
その時間を素敵な時間にしてあげられるのです。

「生きること」の意義は
充実した日々をもつことかなと思います。

自分にもうまくいく、
そんな気持ちをもてたら
充実感をあげられるんじゃないか、

誰かの日々の、月一、二回、
二時間だけではあるけれど、
楽しい気持ちにしてあげられることを
嬉しく思います。

そしてそれは
私の充実感につながります。

ギブとギブ。

与える者は与えられる。

なんともありがたいお仕事をいただいているな、
そう思えるようになりました。

先日、10年くらい通って下さった方が
亡くなりました。

とても優しい、
私の父と同じくらいの年齢の方でした。

かといって傲慢な私の父と違い、
穏やかで、話し方も可愛らしくて、
私がちょっと無理なアドバイスをしてしまうと、
「そんな難しいこと言われちゃうと、
僕困っちゃうよ〜」
なんて笑ってくれて、

自慢の頭の良いお子さんの話をよくしてくれました。

そしてそのお子さんから、
もうすぐ父が亡くなる、
とメールをもらいました。

それまでも何度か手術や入院を繰り返していて、
でも回復するとまた教室に来てくれて、

一年ごとだんだん体力が落ちていっていることは明らかでした。

最後の入院から、
一進一退の回復をしていると、
お子さんから代筆のメールをいただき、
教室で待ってますからね、また一緒にね、
と伝えてきましたが、

とうとうお別れがきてしまいました。

私に知らせがきたことが
私に託されたような気がして
急いで返信をしました。

あなたはいつも優しかったし、
私はあなたが作るものが好きだし、
いつも穏やかなあなたは
私のお手本なのです

とメールを送りました。

人生が一つの物語だとしたら
私は生徒さん一人一人の長い長い物語の最後の章に出てくる、
月に一度か二度くらい、
たった二時間をすごす登場人物に過ぎないけれど、

ほんの少しの登場だから、
私は良い人の役で登場しようと思うのです。

誰でも自分の物語は
とても良いものであって欲しいと願うだろうから、
良い先生に出会ったことも
一つの飾りになるかもしれない。

私の言葉は
お子さんからその方に伝わり
「嬉しい」
と言ってくれたそうです。

私も嬉しい。
だってとても素敵な人だったから、
物語に登場させてもらって、
とても嬉しい。

ギブとギブ。

私の物語を素敵にしてくれる生徒さんと、
教え、教えられ。
この仕事に出会えて良かったなと思います。


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