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いのちのおもさ

すごい重いタイトルに聞こえますが、みなさんは"いのちのおもさ"について考えたことありますか?

最近、私は"いのちのおもさ"について考えることがあります。今日は"いのちのおもさ"について考えたことを思いのままに書いてみようと思っています。

私は田舎の方で18年間暮らしてきました。その中で、外で会う人に挨拶をすることは珍しくありません。

ショッピングモールや少し人が多いところではしないこともありますが、近所の人には挨拶をします。私のことを小さい時から見てくれていて、覚えてくれている人もいます。私も会ったら声をかけるようにしています。名前を知らなくても顔見知りだったら挨拶をします。

都会に来て住んで1年半ちょっと。
挨拶をする機会はほぼありません。
こんなにも人がいるのに。
いや、こんなにも人がいるから挨拶しないことが正しいのかもしれません。

私たちは毎日何人の人とすれ違っているのでしょうか。

推定ですが、私は100人くらいの人とすれ違っていると思います。ネットで調べてみると、都会の場合、通勤や通学で電車などを使う人は1分間に120人もの人とすれ違っているみたいです。

みなさんは毎日何人の人に挨拶をしますか?

私は指で数えられる程度です。
授業でもほとんど知らない人であれば、声を出さない日もあります。

会話という会話をほぼしていない。
ネット上での会話量の方が多い気がします。

こんなにも人と会っているのに言葉を交わしていないなんて、変な環境だなと思いました。

ここで過ごして、今日1番感じたこと。
それは
こんなにも人がいて、誰が誰かもわからない。
ということ。

毎日何百人の人とすれ違っていても、誰かわからない。私も同じように認知されていないでしょう。

こんなにも人がいて、自分の存在すらわからなくなってしまう。そう感じるのは出会う人数に対して自分という存在証明をしてくれる割合が少ないからだと考えました。

人が多いと、自分自身や他人のいのちのおもさがわからなくなってしまう。

どこにいてもどんなときもどんなひとやものにとっても"いのちのおもさ"は同じのはずなのに。

同じだけど、見え方が異なるのも事実です。
尖った言い方をするなら、今日すれ違った人の1人が亡くなっても、なにも変わらないのです。そもそもその情報すら伝わらない。実際そうだと思います。

都会で暮らして"いのちのおもさ"がわからない。そう感じてはいるけど、都会を批判しているわけではありません。

この世界で生きる選択をしたのは私です。
でも今日感じたことは私にとってとても大切なこと。だから、もっと自分で自分のいのちのおもさを感じて生きてみようと思っています。

これは共感してほしい、広めたい、そんな気持ちで書いているわけではありません。

世界には色んな考え方があります。
どんな考え方をしてもいいのです。

私は私の考え方をこうやって言葉に出して、大事にしたい。それが私の考え方です。

今日も明日も明日以降も大事に生きたい。
わたしのいのちとともに。

2023.10.11

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