トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」 第4回 小酒井不木と「新青年」

10/24 於、ミステリー文学資料館

 ミステリー文学資料館開館10周年記念の連続講座も4回目。第1回に引き続き聴講して参りました。今回のテーマは「小酒井不木と『新青年』」、講師はミステリ評論家の山前譲さん。

 第1回「江戸川乱歩」は神奈川近代文学館の「大乱歩展」開幕日と同日、しかも小林信彦さんの記念講演と同じ時刻に開催、という明らかに不利な条件ながらほぼ定員の聴講者を集めました。聞くところによると第2回「横溝正史」もかなり盛況だった模様。ただ、今回も「大乱歩展」で紀田順一郎先生の講演が行われる日である上、テーマも乱歩、正史と比べたら知名度の低い小酒井不木。どうなるもんかと思って会場に足を運びましたが、15名くらいの集まりになっておりました。

 山前さんは小酒井不木の誕生から死までを年譜式にまとめ、草創期探偵小説文壇における不木の活躍を雑誌『新青年』の時代的変容や江戸川乱歩のデビュー以後の活動と絡めながら1時間程度解説し、その後は自由に質疑応答する、という形で講座を進めました。
 私の方から山前さんに質問したのは以下の2点。
 山前さんは小酒井不木の活動の「山場」を、年譜上のどこと考えているか?
 森下雨村は小酒井不木と知り合ってから1年足らずで江戸川乱歩デビューに際し相談を持ちかける程全幅の信頼を置く関係になっているように見えるが、ほかにも『新青年』初期から関わりのある翻訳家、文学者もいる中で何故不木をそんなに買ったのか?
 それについて山前さん答えて曰く、文学史的な評価として言えば大正11年~13年くらいの「毒及毒殺の研究」「殺人論」「犯罪文学研究」などの研究評論の寄稿が一番だろうが、一番面白いと思っているのは「耽綺社」結成のような人と人とのつながり、探偵小説文壇形成の中で不木が中心となって果たした役割。森下雨村との関係については書簡など具体的な資料が公になっていないので推測するしかないが、やはり当時探偵小説・犯罪科学について抜群の知識を持ち、なおかつ「探偵小説の愛好者・理解者」であった人として、小酒井不木が抜きん出ていたのではないか、とのこと。

 マニアックな探偵小説ファンとおぼしき方からは、「最近ヤフオクで國枝史郎から小酒井不木に宛てた書簡が出ているのを見たが、遺族が手放したのか」とか「不木は学生の頃に小説を書いてデビューしていると聞いたがそれはどんなのか」とか、結構ディープな質問も出てました。

 さて、あとは第8回、「森下雨村」を聴講する予定です。

(記、2009/10/25)

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