『全力投球―武平半生記―』(第七話・未完)

小酒井不木全集の校正は、共同印刷の校正室へ出張してすることになっている。(中略)仕事は改造社員のMさんが重要な点は念を入れてやってくれるので、私は誤植を正したり、組違いを指摘すればよかった。その他、この全集の他に例を見ない点は、その作品の脱稿日並に枚数をこくめいに入れたことで、これは作者がこくめいに日記しておいてくれたおかげである。
 この全集は始め八巻で完結予定であったところ、巻を追って購読者が減退するのがならわしであるのに、一向に減退しなかったので、十二巻に改められ、最終的には十七巻となった。
「原稿があれば二十巻まで延長してもいいですよ」
 と改造社の副社長がいってくれたが、いたずらに増冊しても先生の名誉を毀損する世評があっては、全集出版の意味がないと考慮し、十七巻で完結とした。
 その全集の第六巻が出たころ、私は博文館編集部に入社することとなった。

 小酒井不木全集増冊に関しては、全集に差し込まれた「ニュース」によって次々と続刊が決まっていく様子がわかります。誤植もそれなり、収録漏れ作品多数、脱稿日と枚数はともかく収録誌に関する情報は眉唾、と問題も決して少なくはない全集ですが、戦前の探偵小説作家でここまで業績を網羅してもらった作家は殆どおりません。当時の人気の高さは勿論、江戸川乱歩ら協力者に恵まれていち早く全集出版に持ち込めた事、そして岡戸武平という編集助手に恵まれた事がこの大著作集にとっては大きかったと言えます。

 さて、改造社から給料を貰いながら全集出版に尽力してきた岡戸ですが、そのまま東京に残って博文館に就職、という流れになります。不木全集第六巻刊行の頃というと、昭和4年11月末あたり。当時松坂屋の宣伝部からも声がかかっていて、そちらは月給80円という条件でした。博文館は60円だが原稿書きをアルバイトで出来るから、という事で博文館入りを決心した、と本人は言っています。給料面の待遇よりも、何より作家として立つ為の「登龍門」という意味合いが重要だったみたいです。というわけで、

昭和4年末(31歳) 博文館入社。『文芸倶楽部』編集部に勤務。

(この項 未完)

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