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はじめまして

好きなYouTuberさんがnoteをしていることを知り、文章を読みたさのあまりインストールしてしまいました。ちょろいですね。
でも販売期間が過ぎていて思っていたほど読めませんでした。

しかしわたしがそれを期にここ、noteに文章を書くなんて。本当に自分でも考えが及ばなかったです。


元々ロルバーンというお気に入り手帳にアナログで書き込んでいたのだけれど、空き時間で書こうとするとかなりの時間が必要でした。

頭で文章が思いついていても、手が追いつかない。
でも早く書こうとすると字が汚くなってしまって初めの3行で書き直したくなる。おまけに色々な思い出の写真などを切り貼りしているため、ノート自体にかなりの重さがあるから持ち運びに向いていない。

ロルバーンに書こうと思ったきっかけも、ただ日々の記録、あとは自己分析したくて(時間の使い方だったりスケジュールを綿密に書いたり)始めたのだけれど、わたしの性格上そんな上手くいかないんですよね。綺麗なノートがInstagramで流れてくるけど、あんな丁寧に書いてたら日が暮れる。

文彩なんてひとかけらもないし、文を作るのも苦手で手紙もメールもろくに返せないけれど、文字を羅列させることがとっても好き。思ってることをうまく言語化できなくて頭を抱えるけど、そうやって試行錯誤してる時間はもっと好き。
そうやって好きと思える時間を作れていることがたとえ一瞬であってもあぁ、授業がはじまる。

授業おわりました。安定に眠かった〜いつも話半分で聞いたつもりになってますね。このままじゃテストやべぇです。

そう、そういうひとときに安らぎを感じ、怠惰な自分や愚かさやをひしひしと痛感する…自分と向き合う時間はこの上なく尊いものだと思っています。
どんな仕様がないことでも、何かのきっかけでその感情や物語が生まれているわけで、そこに必然的な何かがあるとは思いません。
しかしさまざまな衝動的偶然の爆発でおこる日々に意味はなくても、その数ある中の一つに何か意味を持っていれば、自分の確固たる何かが揺るがない気がしています。
ただ自己満で、出来事に意味をつけようとしたいだけですが。

そんな「ロルバーンノートにわざわざ書くことはない文」を記録していこうと思います。

わたしはデジタルという、目には見えるけれど物質として手で持てないものを恐れている傾向があります。ノートに書いていたのも、スマホやパソコンだと、いつその書いたものが消えるかわからない不安からでした。
手元に置いとける安心感がほしいんですよね。別にこの文は、消えてもせっかく書いたのに消えちゃった悲しいぴえん…と思うよりむしろえ!消えた!?おぉこの言葉の出会いはもう一生戻ることはないのか…と儚さを感じて心にぐっと何かが灯るような気がしますね。そんな文章を書けるとは微塵も思ってませんけどね。いいんです。それくらいで。もし持っておきたい場合はコピーとか適当にするんで大丈夫ですね。

頭で考えてるイメージが少しでも自分のことばとして表現できるようになりたいな。

ではでは


初投稿 leben

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