映画『カール爺さんの空飛ぶ家』感想(2010年1月27日記述)

※この記事は、過去に個人サイトのブログに掲載していたものを転載したものです。記述内容や感想は当時のものになります。ご了承ください。

※ちなみに、今だとこの映画の評価はもうちょっと低めです。
 説明する時に「冒頭15分は名作」って言ってます。


 『カール爺さんの空飛ぶ家』観てきました~。

 正直今回はあまり期待しないで行ったので、前情報もほとんど無しだったんですが、いやぁなかなかでした。

特に最初の15分くらいかな?家が空に浮かぶまでは神がかってましたよ。

 そこだけでも見る価値充分です。台詞もなしにカール爺さん妻エリーの思い出を雄弁かつテンポよく見せてくれたと思ったら、エリーに先立たれたあとの爺さんの辛い境遇から、ついに妻の夢をかなえるべく旅立つまでの流れの小気味よさといったら!


 …まあ、正直な話、それ以降の話は「なかなかよかった」と言う感じです。

※以下、ネタバレを含みます。















 キャラクターの練りこみや配置などはかなり計算されていて、さすがPIXARといった感じです。
 私が特に気に入ったシチュエーションは、爺さんが何かと「家」を「エリー」と呼んで、亡き妻と重ねるのですが、だんだんこちらもそういう気分になってきて、家のキシむ音ですらエリーの爺さんへのささやきに聞こえてくるのがなんとも。
 ラストで爺さんの背中を押す(開放する)エリーに涙…。

 ただ残念だったのは、これは『カーズ』でも同じことを思ったのですが、今回のお話のいわゆる「悪役」にされてしまう冒険家のチャールズ・マンツがどうしても気の毒でならないってことですね。
 物語を盛り上げるためには仕方がないのかもしれないですが、マンツは狂ってしまってはいるのでしょうが、別に悪人であったわけではありません。
 
むしろ輝かしい栄光のあとに挫折を味わい続けた、気の毒な人物です。
なので、どうしても最後まで、彼を「倒さねばならない敵」として扱うことに、素直に賛同できませんでした。



※2023年10月13日 追記

 この頃の子供向け映画(特にディズニーピクサー)にわりと顕著な問題に「悪役をどう設定するか」というものがあります。

 日本のマンガ好きには有名な話ですが、「少年ジャンプ」人気が低迷した漫画はバトル漫画に路線変更して人気回復を図る」ってのがあります。
 そしてそれは、けっこう成功してたりします。

 それと同じで、子供向け作品は「敵(もしくはライバル)を設定してそれを打ち負かす」話にすると盛り上げやすいみたいです。もちろん、戦いとなると否が応でも盛り上がりますし、画面も派手になりやすいので娯楽映画作品向けなのは間違いありません。

 ですが、その場合「敵(悪役)をどのよううに設定するか」問題にぶち当たります。
 派手なバトルシーンになればなるほど危険になるのは当然で、相手は酷い目に合う(最悪、命を失う)のですが、問題は

そんなにひどい目に合わなきゃいけないほどそいつは悪いのか?

…という問いかけに向き合うことになります。

 法によらない悪の断罪は私刑ですから問題外として(といってもこういう解決をするお話も結構あるが)、多くの場合はたとえ相手を死に至らしたとしても、「やらねばやられる」もしくは「生き残るために必死で抵抗したら相手が自滅してしまった」なんてパターンなので、主人公側に対して「やりすぎだ!」なんていう非難は向かないように作られてる場合が多いですが、それでも結果的にひどい目に合う悪役に対して「はたしてここまでひどい目に合うほどそいつがしたことは悪いのか?」という思いが頭をかすめます。

 例えば古い例になりますが『北斗の拳』の悪役なんてのは、主人公に残酷にコロされてもしょうがないと思えるくらいの悪の限りを尽くしてるので、彼が酷い目に合うのはカタルシスにつながるのですが、少しでも悪役が哀れに思えたらもうそれは成り立たないのです。
 今回のチャールズ・マンツは、私にとってそれでした。
 だれか彼をも救ってあげられなかったのでしょうか。

 でもこれはまあ、子供向けに限らずバトルアクションを扱う作品には不可避な課題であり、ポリコレが声高に割れるようになった現代ではなおさらかも知れません。

 
 もちろんこの問題に答えを出そうとする動きもあり、たとえば最近のプリキュアシリーズなどでは、敵の怪物は「浄化」、敵幹部などは全員ではないにしても改心させたりしています。

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