日記


今日は、インターホンが鳴る。

開けると、汗だくの男子だった。

作業着を召しており、胸元には「高橋」と入っている。

そういえば今日、アパートのペンキの塗り替えがあると聞いていた。

男子はひととおり作業について説明したあと、

「すいません、今からペンキ塗るので気をつけてください」

と言う。

気をつける、何に気をつければ良いのだろう。

聞くと、

「ちょっとですね」

と高橋さん。

詳しく聞くと、高橋さんは新人で、

作業中にちょっとでもびっくりすることが起こると「簡単に落ちちゃう」とのことだった。

それは危ないな、と思った。

具体的に言われたのは、音を立てないようにすること。

「僕が落ちるか落ちないかに関わるので」

と釘を刺される。

私は高橋さんの作業中2時間、静かに部屋で過ごすことになった。

高橋さんを落とすわけにはいかない。

とはいえ、普段うるさく生活しているわけではないのでいつも通り過ごせば良い。

私は、窓辺で本を読んでいることにした。

窓から、作業をする高橋さんが見える。

汗だくだった。

すると、高橋さんのいる足場にふとカラスが止まる。

高橋さんは気がついてちょっとびっくりしつつも、

カラスを避けながら作業する。

いい感じだ。

カラスも空気を読んでか、カーとも言わない。

にしてもうちのアパートは何色に塗られていくのだろう。

高橋さんが視界をちらつくので、本にはあまり集中できない。

下を覗くと、アパートの1階部分ではもうひとりペンキの作業をしている男性がいる。

すると下の人はふと手を止め、上を見上げる。


高橋カラスいるよ〜


あろうことか、高橋さんに向かって叫び上げる下の人。

カラスも空気読んで静かにやっているのに、こいつ、と思った。

高橋さんはもうだいぶ前にカラスの存在には気づいているし、

ちゃんとこう避けながら作業できていた。

カラスがいたとて、何も問題なく運んでいた。

そんな中の


高橋カラスいるよ〜




高橋さんはどうなったか。

その前に


カー


空気を読んで高橋さんの後ろの足場で静かにしていたカラスが、

さすがに声に驚いて爆音で飛び立つ。

カラスの羽音はすごい。


高橋カラスいるよ〜

カー

バサバサー


高橋さんは、もうダメだった。

一瞬びくっとしたあと、

悲しげな表情をたたえて

「ほんっとにもう!」

と言いながら転落した。

足場に取り残されるペンキ。

ペンキは下に落ちることなく無事だった。

結論から言うと、高橋さんも無事だった。

うちは2階で、しかも落ちたところには植栽があったのが良かった。

その数分後、ふたたびインターホンが鳴る。

高橋さんだ。

すっかり汗は引いていた。

怖い思いをしたからだろうか。

かわいそう。

高橋さんは

「落ちましたけど僕は無事でした」

と報告してくれる。

よかった。

そういえば、と思い

「このアパート、何色になるんですか?」

と聞いてみる。気になっていた。

「それはペンキの色を見てからのお楽しみです」

と言われた。

高橋さんは、

「引き続き気をつけてくださいね」

とふたたび静かにしているよう釘を刺し、出て行った。

さっそく窓からペンキの缶の中を覗くと、薄水色だった。

うーんまあまあだなと思った。

高橋さんが登ってくる。

カラスはすでに板付いていた。

高橋さんは避けながらポジションに着く。

高橋さんがペンキ缶からハケを握った瞬間、

カー


カラスが鳴く。

ああ、今度は空気の読めないやつだった。

それから

バサバサー


と飛び立っていくカラス。

それを見て下の人、


高橋カラスいるよ〜


こいつは本当に。

そして高橋さんはまた落ちた。

かわいそうに。

ビクッとしたのち、

「ほんっとにもう!」

と言いながら落ちていった。

高橋さんはまあまた無事だった。

その後もう1回落ちた。

しかしこんなアクシデントがありながらも、

作業は予定通り2時間で終わった。

彼らは天才職人たちかもしれない。

壁面の仕上がりの色はペンキ缶で見た通り、まあまあだった。

また塗り直しに来て欲しい。

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