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ゆるやかなさようならを

仕事の終わりに白いバラを一輪買った。
午前9時を周ったばかりのまだ新鮮な街の中では今日もいつもと変わらぬ沢山の白いマスクがあっちへこっちへ。
最寄りで電車を降り駅前の広場へ出てみれば、まだ開店したばかりの花屋には匂い立つ瑞々しく新鮮な花々があり、清潔そうな薬局と、そしてほんの少しの雨の匂いがしていた。

昨夜は一つの命が旅立った日だった。
一週間と少し前、彼の声と清明な意識が失われる恐らく最後の瀬戸際の日に受け持っていたのは自分だったはずだ。朦朧とする彼に声を掛け、家族が彼と過ごす時間を作った。夕を過ぎる頃には疲労し、少しずつ沈むように眠っていった彼にはそのうちのどの程度が届いていたのか分からない。
「いってしまったみたい」
出勤し、仕事前の準備を始める直前に先輩にそう言われた。
「そうですか」

いい子にしていれば病気が良くなるかもしれないと子どもは思うのだ。
ちゃんとしていれば病気が良くなるかもしれないと大人も思うのだ。
じゃあ子どもと大人の瀬戸際にいた彼はどう思っていたんだろう。

「わかる?」
とあの日沢山声を掛けた。声を辿って欲しくて。
どうしてもあの瞬間は神様に祈ってしまう。頑張ったいい子の順から連れて行くクソみたいなあれにどうかどうかと思ってしまう。
どうしてですか。
彼はいつも真っすぐに自分の病気と向き合っていました。自分の体のことを良く分かっていました。上手に付き合っていました。ワガママも八つ当たりもせずに一人で涙を流していました。年下の同じ病気の子どもたちとよく遊んでくれた。
あともう少しの頑張りで終わるかもしれなかったのに。

街の中にはたくさんの声が響いていて、どうか意識が沈む瀬戸際の彼に聞こえていたのが私の声ではなくお母さんの声でありますように。
そう思いながら一晩堪えたものは雨の匂いのする街に出た瞬間に零れ落ちた。
家に帰ったら崩れ落ちてしまいそうで、だから白いバラを一輪買った。
歩くことが難しかった彼の、美しい立ち姿はきっとこの花に似ているだろうと思ったから。



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