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小説の力とはなにか──ガッサーン・カナファーニー『太陽の男たち/ハイファに戻って』レビュー

(文:恥の上塗り)

 50年前の本である。50年前の訳の、絶版となって図書館でどうにか発掘できたような本が、読むものにここまで切迫した、言語を拒むような感想を抱かせるのはどうしてだろう。

 古典とされる作品を取り上げて、「現代にも通ずる」といったような言葉を論い、普遍性を称揚するような書き方は、筆者は好みではない。というより、そのような評価の仕方は、「古典(あるいは時代・文化的な背景の異なるもの)を評する」というような言外の前提を匂わせるものであり、誠実な作品の向き合い方ではないと感じる、というのが正確なところだ。

 とはいえ、ガッサーン・カナファーニーという作家を今日取り上げるにあたり、「今日」という言葉を強調しないのは、それもまた不誠実である。なぜなら、ガッサーン・カナファーニーという作家が作家人生を賭けて(まさしくその命すら賭して!)表現しつづけたパレスチナの悲痛な叫びは、今日に至るまで変わらず、それどころかより凄惨さを増してあらゆるメディアの嵐となって私たちに届けられているからだ。

 ひとつの作品を紹介するにあたって、そこに政治的な理由が持ち込まれるべきではない、という意識が働いていることを筆者はここに告白する。これには諸々の理由が想像される(文学がこれからそれに出会うものにとって常に「中立性」であってほしい、という幼稚な幻想。あるいは文学だけは、私自身の政治性から自由に生きており、文学という形式こそが、数多にゆらぎ、よろめくことによって権力から逃れているだろう、という偏屈な思い込み)だが、ガッサーン・カナファーニーの作品において問題となるのはまさしく政治そのものなのであり、それを紹介するものの態度が正体不明であることは、あってはならない。

 ただ、筆者は本書を読むにあたり、ある種の「覚悟」を持つ必要がある、とは全く思わない。「覚悟」だと漠然としている、というのであれば、何らかの政治的な立場を表明したり、具体的な行動を示したりすること、すなわち諸々の「割り当て」を引き受ける決断、と言い換えてもいい。

 当たり前のこととして、問題に目を向け声を上げたり、確固とした態度を表明することは、常に勇気あるものとして認められるべきだろう。一方でそれは避け難く「割り当て」やラベリングを伴い、それらは翻ってガザの現状から目を背ける現代的な理由のひとつ──無関心に行き着く。もっといえば、ラベリングや他者からの視線に対する防衛機制としての、「装われた無関心」とでもいうべき態度。そして、だからといってそのような態度が攻撃されていい、ということにはならないし、このような反応はある意味当然といえる。

 ここで筆者が伝えたいのは、そのような態度のまま本書を読み開いていただいて一向に構わない、ということだ。というか、本を読むということもまた、疑いようなくあなたが今起きていることに目を向けようとすることの証左となる。そして、何より、カナファーニーの作品が如何なる理由で手に取られようと──それがたとえ反動的なものであったとしても、そのような地平を超えた先に、無視することのできないエクリチュールを私たちは目にする。

 前置きが長くなってしまったが改めて簡潔に紹介しよう。本書は二〇世紀パレスチナ文学の旗手といえる、ガッサーン・カナファーニーの中短編選集であり、表題の二編他全七編を収録している。そのいずれもが占領パレスチナを舞台とするか、パレスチナ難民にフォーカスしている作品である。

 作品の「主題」とされるものを作家自身の生い立ちや半生と結びつけて、安易に語ることは避けなければならないが、ここではそのような臆病心すら無意味なほど、作家と作品は分かち難く結びついている。というのも、カナファーニー自身が委任統治領パレスチナから、イスラエル「建国」、そして数度に渡る中東戦争のさなかを生きたパレスチナ人であり、言うまでもなくその時代他のパレスチナの人々が受けた激動を、同様に自己形成としているからだ。カナファーニー自身の半生にもう少し踏み込むなら、成長につれて難民救済機関の教員として難民キャンプの児童に教え、さらにその時代の他の多くのパレスチナ人と同じように政治活動に直接身を投じていたことへ触れるのは、無意味ではないと思う。とはいえ、カナファーニーは直接武器を取るというかたちではなく、いくつかの新聞に参加し、PFLP(パレスチナ人民解放機構)の公式スポークスマンとしてパレスチナの現状を世界に伝えつづけた。そして、1972年、カナファーニーは自身の乗る車ごと爆破され、36年の短い生涯を終えることとなる。

 本書は一人のパレスチナ人によって遺された苛烈な爪痕の数々である。しかし、その苛烈さは自身の置かれた過酷な政治的状況に由来するものであるに関わらず、政治の隘路に立たされたがゆえの不寛容や攻撃性の彼岸にある。ここでは、表題作二編に加え短編「彼岸へ」を取り上げ、振り返ってみたい。



太陽の男たち

 湿り気を帯びた土の匂い、ペトリコールの息づき。物語の冒頭にもたらされる湿潤のイメージは、しかし果たされることなく、乾燥した土煙のなかに取り残される。

 それぞれの事情からクウェートへの密入国を果たそうとイラク・バスラに流れ着いた、三人のパレスチナ難民が密入国業者に足下を見られ、断られ、あるいは啖呵を切って喧嘩別れをするところから物語は始まる。すでに企ては始まっており、パレスチナに戻ることの許されない彼らは、バスラで行き逢ったパレスチナ人の持ちかける危険な賭けに乗ることになる。それは、通行許可証を持った給水車に乗り込み、灼熱の国境を通過するまで給水タンクのなかに隠れている、というものだった──

 サスペンスとして面白く読むこともできる筋立てのなかに、心理小説めいたしるしを見出さないという単純な事実が、この作品の切っ先のごとき鋭さを作っている、というのは逆説的だろうか。

 密入国をめざす三人の男たちの背景はいずれも、パレスチナ特有の事情に喚起するものである。中年のアブー・カイスは、クウェートへ出稼ぎへ行けばもっとよい暮らしがあるのにという言葉、そして妻の、涙をこらえてうつむく横顔という記号に縛られている。寝ても覚めても現れるその記号が、アブー・カイスという男をバサラまで連れてきたのであって、彼に高値をふっかけてくる密入国業者への怒りめいたものや、反発する動機はない。また、若いアスアドは望まない許嫁との婚姻から逃れるように出国を望むが、そのための資金を貧苦から許嫁の父親に援助してもらわざるをえない。その屈辱に重ねて、バサラまでの道案内人に騙された彼は、自らの名誉の失墜に、怒りを超え疲労を見出している。

 最後の一人であるマルワーンは、兄からの仕送りが途絶え、学校をやめざるを得なかった身の上や、老後の安息のために、一家を置いて別の女性のもとへ身を寄せる彼の父親に、決して怒りを覚えない。それどころか、自分の母親に父親の身勝手を宥める手紙を書き綴り、言いようのない幸福を感じている。密入国業者と喧嘩別れをし、希望を失ったあとですら、それだけが彼の感情を支配する。彼は意味のなさに意志を見出し充足し、選択の余地のない「出稼ぎ」という運命をも、「悪くない」と告げる。

 先だって述べたようにこれら三人が越境を試みる肝心のシーンに際し、そこに言葉は遺されない。タンクの内部に閉じられた三人は言葉を失い、一切の心理描写は追放される──沈黙だけが残る。そしてその「沈黙」こそが、三人を貫くイメージであり、最後の、運転手による悲痛な慟哭を私たちに切迫したものとして届けている。

 本書の作品解説での言及を信じるならば、当時の入国事情は多かれ少なかれ「緩い」ものであり、本作品で脅されているような危険なもの(三人に交渉を持ちかけた男(=運転手)は、密入国の成功率は、業者を介しても「まあ、よくて一割だな」と述べている)である場合はごく一部だったという。それを作家による脚色と断じてしまえばそれまでだが、密入国という道程にパレスチナの行末そのものを託すような作家の書きぶりを前にして、それはあまりにも勿体ない感想だろう。


彼岸へ

 男がひとつの予感を抱えながら家へ帰る。熱々のスープを飲むとき、その予感が声となる。それは、その日男に会おうとして尋問にかけられ、その最中窓から飛び降り逃走したという一人のパレスチナ難民が、男に会いにくるという予感だった──だが、それは超常的な体験となって現れる。すなわち、スープを啜ろうとする男の頭に響く一つの声として。 

 カナファーニーの作品では、人物はしばしば奇妙な予感めいたものを持つ。そして、その予感を持つ人物は、もっぱら難民当事者ではなく、難民の存在を──パレスチナという「国」をなかったものとして振る舞う厚顔な世界の方に立っている。この作品でも、モノローグの主体である男は「要職」についた、イスラエルの人間であり、迫害を正当化する側の人間である。

 男の頭のうちにどういう形でかは分からないが響く声は、男に自らがその日窓から飛び降りてみせた件のパレスチナ青年であることを明かし、男たちの世界がパレスチナという民族になにをしてしまったのか、糾弾する。その糾弾の内容とは、例えばイスラエルによってこれだけの同胞が亡くなったとか、今ヨルダン川を超えた先に閉じ込められたひとりひとりのパレスチナ人の苦しみといった、人道的な見地・・・・・・によるものではない。

「あんたがたはまったくまんんまと俺を変えてしまったこと、ご自分でわかってますねえ……そう、一人の人間から一つの状態へとね。(中略)しかし、ねえ旦那さん、百万人の人間を一緒に溶かしちまって、それを一つの塊りにしてしまうってことは、決して並のことではねえですよ。」
「あんた達は、この百万人もの人間から一人一人が持ってる各自の特性ってやつを喪わせちまったんですよ。あんた達には、一人一人を見分ける必要なんかねえんですよ。だってあんた方が目の前にしているのは、状態なんですから。もしあんた方それを盗っ人の横行する状態だと呼びたけりゃあ、あんたの前にいるのは俺達盗っ人の集団てことになるんですよ。」

ガッサーン・カナファーニー『彼岸へ』より

 人間から状態への変化とはどういうことか。「声」は、窓から飛び降りる際自らの背に男がかけた言葉を回想する。『豚野郎! そいつを逃がすな!』そして、その通りだと得心する。自分はすでに豚でしかない。それはもっといえば、人としてのゼロ地点に生まれた言葉「それじゃあ、どうする?」という問いのその先を奪われた、豚でしかないということだ。

 「声」は止まらない。状態へ変えられてしまったものにとって、難民キャンプを視察しにくる「人道的な」視線はまた、難民を見世物的な「商品」に変えるものでしかない、と看破する。男を糾弾する「声」が決して同情的な声音を帯びないのもそのためである。そのような同情的な視線とは、つまるところパレスチナという問題から、人道的なリーダーシップのための、「声明文」のための都合のいい「材料」として、価値を捻出するものでしかないからだ。「声」は体制のみならず、ありきたりなパレスチナに対する擁護の目線にすら鋭く牙を剥いている。人間から状態への変化──それはすなわち、国土や民族に紐づく過去、そして明日への希望としての未来を奪われ、「商品」としての現在しか残されていないという事態なのだ。

 だが、そのような鋭さを持つ糾弾の裏側には、常に死の匂いを帯びた痛切さが残り続ける。攻撃的なだけではあり得ない言葉の数々や、「それじゃあ、どうする?」という言葉だけが残り続けるその様は次に紹介する『ハイファに戻って』と連続するものといえるだろう。


ハイファに戻って

 作品集の最後に収録されている本作はカナファーニーが生前に完成させた最後の作品である。ひと組のパレスチナ人夫婦が、昔生活していた家を訪ねることを決意する。二十年のときを経て、記憶の蓋を重々しく開き──

 イスラエル建国と、それを契機として勃発した第一次中東戦争での敗北を経て、それまでイスラエル国内に居住していたパレスチナ人の多くは難民となるか、もしくは自分自身の持ち家を手放すことを余儀なくされた。その極めて根本的であり、素朴な事実に視線を向けた作品である。

 ふたりにとって、その家は「追い出された場所」であるだけでない。動乱のなかで、家に残した嬰児を、そのまま置き去りにしてきてしまった現場そのものなのだ。

 しばしば書かれている内容に注目されがちなカナファーニの作品において、その形式こそが、彼の作家性を存分に際立たせているものであることは、強く言及されるべきことだろう。過去と現在が明示されることなく交差する語りは、「太陽の男たち」など、カナファーニの作品に通底するもうひとつの柱だといえる。そして、それは動乱を生きる意識にとって素朴なもののように思える。過去を距離と捉える見方は、そこに同じだけのパトスを見出すことのない、退屈な時代の産物ではないか。

 かつての家へ遺し、見殺しにしたはずの嬰児が、その家を「収奪」したユダヤ人夫妻に奇跡的に引き取られ、一人前のイスラエル軍将校に成長していた、という事実に直面したとき人間に遺されている言語はなんであろうか。

 終盤、息子と対面した夫妻との間で交わされる会話では「人間とは、それ自体が問題ではないか」という言葉が繰り返し現れる。この、決め台詞めいたテーゼそれ自体が重要なのではない。そのような言葉しか残されていないという事態、それこそが単なる政治的な対立や暴力の連鎖の先に、カナファーニーという作家が見た、アラブのエクリチュールの地平が広がっている。


むすび

 まず余談として、この作品集は文庫化されている。しかも。昨年一〇月からの戦闘を受け文庫版は急遽復刊されることが決定した。じゃあ絶版された方をわざわざ掘り出して労力を演出していたのか、というとそういうわけでもない。元々の「アラブ文学集」には上記のカナファーニの邦訳に加え、大江健三郎の後記が収録されていたが、文庫になるにあたりこの後記は削られてしまった。「後記を書く資格のないものとして」と題されたそれは、東京で開かれたアラブ文化会議における自身の「醜態」に言及したうえで、アラブのエクリチュールと題したその会議での未発表草稿を代稿として掲載するという形式を取っている。

 日本・アラブ文化連帯会議と呼ばれるその集会において何が起きたのか、詳細は触れられておらず、あまり確認するすべもない。が、サダト政権下での原子力開発に対して、当時の左派文芸活動家によるアジテーションが展開され、大江が司会を努めるはずだったフォーラムが徹底的に妨害された、というのがだいたいらしい。ユーセフ・エル・セバイ(エジプトの作家。当時のエジプト文化相。1978年に暗殺)を筆頭に、フォーラムにゲストとして呼ばれたアラブの作家たちは抗議に対する抗議として退出することとなり、フォーラムそのものも中座してしまった。その辛酸を苦く回想する大江の言に隔世の感を覚える一方、左記の文に思いがけず頷かずにはいられなかった。

「若い講義者たちの問題提起(※サダト政権によるエジプト政府の原子炉開発に対するもの)は重要であって、僕はかれらを排除することには力をつくして反対するが、しかしいったん抗議をあらわしたかれらに、つづいてすみやかに矛先をおさめて、ともかくアラブの作家・詩人たちの言葉に耳をかたむけるというほどのことがなぜできぬのか、なぜやらぬのか、そういう耐え性のないことでどうするか、という思いに立って僕は話し、自己流に編集したダルウィーシュ氏の詩を読み、自分で耐え性のないことになってしまったのである」()内は筆者による

『現代アラブ小説全集7』p.278

 ゆえに肝心の後記そのものはカナファーニーの個別の作品へ言及するものではなく、その意味で文庫に入らなかった経緯にも慮るものがある。とはいえ、映画「王家の谷」の構成とカナファーニーの作品性の共通点に言及し、アラブのエクリチュールの豊穣さを大江流に表現したこの後記は、一読の価値はある。

 繰り返しになるが、文庫版の重版が決定された。河出書房の作品ページでは重版中とのことで(2024/06/21現在)まだ書店には並んでいないようであるが、見かけたらぜひ手にとっていただきたい。

参考

ガッサーン・カナファーニー『現代アラブ小説全集 7 太陽の男たち/ハイファに戻って』黒田寿朗/奴田原陸明訳 河出書房新社 1978年

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(追記)西加奈子による文庫版解説が公開されてるらしい。こっちを読んだほうがいいかもしれない


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