うっとりしちゃってさ。
美しい髪。
想像するだけで、うっとりしちゃうね。
美しい髪には、そんな力があると思う。
現実を美化する力。
目の前の世界に、幻想を美しく映し出す力。
雰囲気イケメン。
これまで経験則的に、記憶に刷り込まれたイケメン像。
それによって、よくよく見えなくとも、いや、よくよく見せなくとも、醸し出されるイケメン感。
髪型が1つのキーポイントになっている気がする。
後ろ姿美人。
「振り返らないでほしい」
髪が、そう感じさせる部分は大きいと思う。
美しい髪から膨らませた想像の中で、出来上がった正面顔は、想像が故に美しい。
目の前に現れた美しい蜃気楼(しんきろう)を、自ら掻き消そうとは思えない。
誰かが、ばっさり切った髪を見て、失恋かな、気合い入れたのかな、なんて妄想を広げることもしばしば。
かと思えば、少し伸びて、気を使い出した髪を見て、色気付いた?なんて思ってる。
愛する人を抱きしめた時、触れる髪。
触り心地。
指通り。
その匂い。
そこから見えた、耳と髪との重なり。
そのうちの1つでも同じような景色を感じれば、この記憶が蘇る。
記憶と現実を重ね合わせずにはいられなくなるだろう。
それが例え、ごわごわした、硬い髪だったとしても、私には、愛おしくて美しくて仕方ないに違いないのだから。
通りすがりの人から、ふわっと広がった髪の香りに、愛した人の幻想を投影することもあるだろう。
記憶と現実を見間違うこともあるだろう。
美しい髪のせいだ。
私の後頭部のちょいと左。
髪が中途半端に伸びると、外へ向かってハネる癖がある。
母のそれと一致する。
幼い頃、冗談とは分かっていても「拾われてきた子」と言われていた私には、そのクセ毛が、私と母の繋がりを証明してくれるようで嬉しかった。
そのクセ毛を宝物のように感じた。
お世辞にも美しいとは言えないような、私の美しい髪。
ただのクセ毛だから、美しいというには、図々しい見た目かもね。
それでも私にとって、そのクセ毛は何物にも変えられない証であって、母譲りのハネた髪は、今も私のお気に入り。
美しい髪の記憶が、平凡な現実を明るく照らしてくれるんだ。
髪なんて、日々伸びて変化するし、その1本は明日には抜け落ちてしまうかも。
幾月か経てば意図的に切り落とされる。
痛みを感じはしないけれど確かに自分の頭から生えていて。
生きているような死んでいるような。
曖昧なもんだ。
不確かなのに、色褪せない美しい髪の記憶。
不確かだから、色褪せないのかな。
その髪が、癖っ毛であろうと、人工的に作られたものであろうと、誰かに非難されようと
“あなたが、美しいと感じた”
ただそれだけでいい。
その記憶が世界を彩ってくれる。
これからも私たちは、ヘアカタログを眺めて目に留まったカットモデルや、憧れのスポーツ選手、今をときめく歌手、眩しい笑顔のスタバの店員さんを、頭に思い描き、
「こんな感じにしてください」
と美容院の椅子に深く腰かけるだろう。
美しい髪に映し出された幻想に、また、うっとりしちゃってさ。