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待ってみようかな

ひと口に、“待つ”と言っても色々ある。

楽しい、悲しい、長い、短い、
待つ。

がまくんと、かえるくんのお話を知っているだろうか。

お手紙を待っているがまくん、
「今が、1日のうちで1番悲しい時なんだ」
のようなことを言う。

何を隠そう、がまくんはお手紙をもらったことが一度もないのだ。

それを見兼ねたかえるくんは、がまくんにお手紙を書き、かたつむりくんに配達を頼み、がまくんのもとへ向かう。

そして、お手紙を書いたことを告げる。
(サプライズ好きには残念な展開かも)
そして、ふたりは、幸せな気持ちで、お手紙がくるのを待つ。

『ふたりはともだち』という短編集の絵本の
(アーノルド・ローベル 作 / 三木 卓 訳)
「おてがみ」という物語。

お手紙を待つ時間が、1番悲しいときから、幸せな2人の時間に変わった。


待ち時間が楽しくなるのは、どんなときだろう。

まず、初めのがまくんのように、待ち続けても何も得られないと思っていれば、待ち時間は悲しく不安な時間になると思う。

誰かに、突然「ちょっと待ってて」と言われたときの、心細さと言ったら。

逆に、待った先に何があるのかということ、待ち時間が終わるということを知れたなら、待つ時間は楽しいだろう。
お手紙が届くと分かってから、がまくんのお手紙を待つ時間は、「1番悲しい」から幸せな気分に変わった。

待つのを終えたときのことを想像するのは、楽しい。
遠足の日がやってくるのを待って、リュックサックに荷物を詰めたり、カレンダーを眺めたりするのは、楽しかった。

そして、それを一緒に待ってくれる人(がまくんにとっての、かえるくん)がいれば、なおさら楽しい。


生活の中に、何かと待ち時間は付き物だ。


お湯が沸くまで、歯医者さんの待合室、待ち合わせ、パソコンの読み込み、布団に入ってから眠りに落ちるまで、送ったメッセージへの返信、ライブの抽選結果。

待たされるとイライラしてしまうことが多いし、他のことで暇を潰したり、待ち時間を効率的に利用したりする。

楽しい日が来るまでの時間は、ご褒美を得るための修業かのように、厳しい道のりであればあるほど、意味がある、と思うようになってしまった気もする。

でも、がまくんがお手紙を待つのを、幸せだと思えるようになったように、幸せな待つ時間を過ごすには、それではダメだと思う。

待つ時間を共にしてくれる、かえるくんのような人は、なかなかいないと思うけれど、待つことが終わったときのことに胸を膨らませて、只々“待つ”んだ。

歳をとるにつれて、出来なくなっていたと思う。
待つことをする。


待つことをせずに、スマホをいじったり、用事を済ませたり、他のことに時間を使っている。

時間の有効活用は、限られた時間を生きる私たちには必要なことだとは思う。
だけれど、待つ時間というのは、幸せな時間でもあることを覚えていたい。


日常的に存在する、待つ時間は、終わりが見えやすいのだから、楽しみやすいはず。

待ち合わせ時間に遅れて来る人を、熱々のスープがいい具合に冷めるのを、洗濯物が乾くのを、わくわく待ってみるのも悪くない。

待つことに終わりがあるなら、待つことを楽しみたいし、終わりがなさそうなら、待つことをやめてみたらいいのかな。

だったら、人生は終わるのは待たない方が良さそうだ。


がまくんと、かえるくん。
この絵本には、シリーズがいくつかあって、どのお話も、ふたりの素敵な掛け合いが見られる。

大人も楽しめる絵本だと思う。

きっと、誰かに伝えたくなる。

私が、ついついここへ書いたように。


さあ。
もう少し、待ってみようかな。
誰かがこの文章を読んでくれるのを。



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