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後悔していますか

後悔していますか?

私はよく後悔する。でも人生をやり直したいとも、時間を巻き戻したいとも思わない。私は後悔を選んでいるからだろう。

そんなふうに思うキッカケが先日あった。

心肺蘇生法・AEDの講習会を受講した。
心臓や呼吸が止まってしまった人を助けるための応急処置の方法を学んだ。

講師は地元の救急隊員。
「もし、実際に人が倒れていて、息をしていなかったら、可能なら今日習ったことを実践してほしいと思います。」というような感じで言っていた。
「人が倒れていて、息をしていなかったら!今日の講習会を受けたみなさんにかかっています!!人を救うために絶対に実践してください!!!」みたいな熱のこもった言葉を想定していた私には、救急隊員の方の冷めたテンションが意外だった。

私は目の前で、心臓・呼吸のとまった人がいたらどうするだろうと考えてみた。

まず、講習会で学んだ心肺蘇生法をしなといけないと思うだろう。
次に、心肺蘇生法を実践したあとのことが頭によぎるだろう。
------------助かる?死んでしまう?重い後遺症が残る?
死んでしまったら、重い後遺症がのこったら、私は後悔するだろう。
後悔するぐらいなら、何もしないでいようか。

私には、葛藤がうまれる。
何もしないでいれば、自分に責任がなかったと思えるだろう。
心肺蘇生法を試めば、その後、助けた人の完全な回復が望めなくなると、命を取り留めたとしても後悔がついて回るだろう。

可能性に目を瞑ってしまわずにすむのなら、後悔を携えて生きていくのもありか。

そう思ったとき、生と死のリアルを見てきた救急隊員の方が私たちに、冷たくさえ感じる言葉をかけた意味が少し分かった気がした。助けようとした人にも後悔や、失望が残ることをその目で見てきたからなのかなあと。

人の命がかかったとき、私がどんな選択をするかは正直分からない。
それに、正しい選択なんてのは存在しないんだと思う。

そのことを踏まえたうえで、私は、何か選択を迫られたときには、きちんと後悔できる方を選びたいと思う。後悔する覚悟がないと、選択さえできないし、しないほうがいいのかもしれない。
後悔してでも選ぶんだという気概。後悔することを諦める決心。
選択はそういうことの上で成り立つのではないかなあ。

何かを選ぶことって何かを捨てるということでもあるから。
何かを捨てると、必然的に、ある道が断たれる。自分が選んだ道を進めば進むほど、断たれた道の先は想像の中で膨らんでいく。

どの道も選ばず、なかったことにして可能性を潰してしまうくらいなら、一つの可能性を突き進み、捨てたもう一方の道に思いを馳せるのも悪くないだろう。後悔とともに。



後悔していますか?