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お盆の時期を思い返せば

弊社は毎年お盆の時期が夏休みなので、この時期はたいてい休みになっていて、なんとなく毎年とまでは行かないが、あの年のお盆はコレをしていた、というのが思い出せる。

去年は失恋したばっかりだったのでとにかく色んな人に慰めてもらっていた。あと実家と非常に折り合いが悪い時期で、かなりしんどかったのを覚えている。

母に「アンデルセン童話に出てくるお姫様(お布団を10枚重ねた上に寝てるのに、その下にあるお豆が痛いの、とのたまうお姫様)みたいな子だからね、あんたは。」と言われて

「好きで繊細に生まれたわけじゃないのに!私だってそんなふうになりたかったわけじゃないのに!!!」と大号泣した帰省であった。

なんなら私の大号泣を見た母も「私は母親なのに役に立たない!」と号泣してしまい、「加害者が泣いて被害者なる私が慰めるの本当に腑に落ちないな。」と思いながら母の背中をさすった。

3年前は友人2人とホテル女子会をしたんじゃなかったかな。平和であった。その後、2人共結婚して図らずも海外に居を移したため、あのホテル女子会は、本当にあの時しかできないものになった。結果的に。


そして、6年前のお盆。このときは、大学時代のクラスメイトの訃報を聞いた。友人からLINEが回ってきて、クラスの中心でいつも色々やってくれていた女友達と話して、教育学科A組一同の名前で弔電をうつことになった。

その年の9月に転勤が決まっていた私は、お盆休み中に物件を見に行くことが決まっていて翌日にはフライトの予定。多少の荷造りもしなくてはいけなかったのに、なぜかその弔電の対応を引き受けてしまった。受けてしまいながら「なんで明日フライトなのに、こんなことを引き受けてしまったのか」とちょっと思っていた。なんせ弔電をうつのは初めてだったし、こんなに若くして亡くなった方への弔電の文例がなかなか検索しても出てこなかったので四苦八苦した。母にも相談をして「どうしたらいいかなぁ。てか、弔電の料金をみんなで割って、振り込みで回収するとさ、振込手数料かかるじゃん。それはみんなに持ってもらっていいのかね。」などと手探り手探りの対応であった。

そもそも今月末で引き払う私の東京のアパート。電報の送り主の住所は実家かね!?転勤先にはしないよね!?とか。

そんな弔電を送り終えて、荷造りをして、次の日には佐賀にいた。思ったより鄙びてなかった。あと空が広かった。物件を見たあと、当時の佐賀社員と夜中まで飲み、翌日もう一度物件を回って東京に帰った。

私が酒を飲んだり飛行機に乗ったりしているうちに、クラスメイトはひこうき雲になったのだと思う。私は、弔電というタスクが終わったこともあり、卒業してから疎遠になっていた彼に思いを馳せることはあまりなかった。その後はバタバタと仕事の引き継ぎをして引越し作業をして転勤した。

翌年、Facebookで「○○さんの誕生日です。」という通知がでてドキっとした。もう亡くなってしまったクラスメイトの誕生日を知らせるものだった。星新一のショートショートみたいなことが実際に起きた。その翌年も流れてきたと思う。いつしか彼の誕生日通知は来なくなった。私が設定を変えて誰彼かまわず誕生日通知が来ないようにしているからなのか、彼のアカウントがどうにかなってしまったのかよくわからない。わからないし、彼のアカウントを見に行くのは心理的にもはばかられ、何も見に行ってすらいない。

もう彼が亡くなって6年が経つ。来年は七回忌になる。私は未だに彼のお墓がどこにあるのか知らない。知らないし、大して仲良くもなかったけれど、お盆に毎年何してたっけと考えたとき、ふと彼を思い出す。

ペンギンが好きすぎて一人で水族館にいくこと。

ハルキストだったこと。

いつもちょっと難解な日記をmixiに書いていたこと。

入学して一番最初の懇親会でおんなじグループになったこと。


久しぶりにmixiで彼を探してみたが見つからなかった。久しぶりに彼の文章を読みたい。それはもう叶わないことなのだけど。




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