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私が美術館に求めているもの。

今週末は伏せって終わりました。

ごきげんよう、もくれんです。

コロナが一段落して美術館が再開してから貪るように美術館にばかり行っていて、もはやアートのない人生などやはり考えられない。転勤してた時はしんどかったなー見られなくて。

美術館の何がそんなに良いのかと聞かれると難しいのだけど、私が唯一、無になれる場所だからだと思う。

基本的に脳内のおしゃべりが姦しいので、いろんな不安や疑念や思考が巡っていて何もしてない時でも疲れやすい。でも美術館で作品を見てる時だけ「作品と私」になれる。あと美しいものを見ると心が癒される。

映画とか小説は考えることが多くて疲れてしまう。文字を書くのが好きなのに、文字を読むのは苦手だ。映画も情報量が多くて疲れる。見れるけど、自ら見に行くことはあまりない。

美術はその点、ラクだ。考えさせる作品もあるけど、感じることに集中できるから。だから、やたら注釈の多い現代アート展に行くと、これまたひどく疲れる。ああいう解説文ってとても概念的でまどろっこしいから。

前に有田の九州陶磁文化館に行った時、観光案内で「見るのに何時間くらいかかりますか?」と聞いたら「…………人によっては1日中見てられます。」と答えられたことがある。これもまた非常にアートをよく物語る言葉だと思う。

さっさと見終わるかどうかは見る人次第で、ひとつの作品の前にずっといたくなるかも変わってくる。

中には美しいと思えない作品もある。その良し悪しがわからないものもたくさんある。単純に好みではないものも。

私の好みじゃなさそうだなと思いながら、そこに新しい美の発見があるかもしれないから美術館に行く。そこで大して好きな作品は見つからなくても、そこで得た知識が私の視野を広げるので、大して好きなものが見つからなくても行く価値がある。日常の中の非日常、それが美術館だ。

日々たくさんの情報と感情の濁流にのまれてるから、目から美しいものを取り入れて心を綺麗なもので満たして、また今日を生きている。

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