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大野理奈子『ドロニンジン』

大野理奈子さんの『ドロニンジン』を拝読しました。
好きな歌やエッセイの一部分を引いていきます。

簡単にこころこころと呼ばないで 裸でひらく星座の図鑑

連作「ひこうき雲と汽笛と」

「こころが痛い」「こころから嬉しい」
そんな言い回しがありますが、主体はそれらを表面上のものだと思っているのではないでしょうか。
星座の図鑑をひらくのは、実際に行くことのできない場所の地図を見ているようです。
実生活には繋がらない、けれど自分を豊かにしてくれる何かをするときに、「こころ」はそのままの姿で現れるのかもしれませんね。

好かれたくて吐いた言葉は一枚の窓、一枚の葉 わすれられない

同上

「好かれたくて吐いた言葉」というフレーズが印象に残りました。
周りとの摩擦を避けたくて、笑いたくないのに笑ったり、同調したくないのにうなずいたりすることがありますよね。
集団生活で円滑に過ごすには賢い方法かもしれません。
ですが、主体にはどうしても耐え難いことなのでしょう。
窓ガラスの存在を感じ、その先の落ちていく一枚の葉を感じる。
なんだか時が止まってしまったようです。
結句の「わすれられない」がひらがなであることで、時間経過がスローモーションになったようにも感じました。
主体は、自分の言動に、そしてそうさせる周りの環境に、確かに傷ついているのです。

水仙が欲しいと思えばふと涙こぼれるこれは何月のわたし

連作「水底の背」

涙がこぼれるのは、うれしいときもありますが、この歌では悲しいとか辛いとかそういう涙だと読みました。
何かが欲しいという感情は、切実さにつながると思います。
過去にやりすごしたなにかが、主体の中には残っていて、スイッチを押されたように涙がこぼれます。
「これは何月のわたし」は、昔過ぎて忘れているのではなく、心当たりがあり過ぎていつの涙か分からないのだと思いました。
主体は疲れています。
それでも、日々を平静に過ごそうと努力してきたのだと感じました。

あなたは、本が読めなくなって、文章を読むことは音楽を聴くことに似ていると気づいた。異なる楽器やリズム、音程、それらのうねりのようなものを感じ取るのが音楽を聴くことだとすると、本を読むのも、物語の行方や文脈のリズム、言葉のニュアンスなどの起伏に、あなたの気分を乗せる必要があるのだ。

エッセイ「きたない春」より抜粋

このエッセイは「あなたは」という主語で語られます。
読んでいる「あなた」に、できる限り同じ目線を共有したいのだと思いました。

私の話になって恐縮ですが、私も一時期、本が読めなくなったことがあります。
疲れすぎたり、頑張りすぎたりした反動で、体調を崩した時期のことでした。
それまでは、本が好きで、特に小説が好きでした。
でも、登場人物の感情を感じることが苦痛で、読めなくなってしまいました。

なので、「本を読むのも、物語の行方や文脈のリズム、言葉のニュアンスなどの起伏に、あなたの気分を乗せる必要がある」という言葉にうなずいてしまいます。

もし、今この文章を読んでいる「あなた」が、好きだったものを楽しめなくなっているとしても、落ち込み過ぎないでくださいね。
私は、今は休む時なのだと、自分の中でサインが出ているのだと思っています。
焦らず、向き合い過ぎずに、暮らしていきましょうね。

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