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『現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号』

『現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号』(書肆侃侃房)を拝読いたしました。
この本は歌人10名による書き下ろしの新作短歌アンソロジー歌集です。

それぞれの連作の中から印象に残った歌を一首ずつ引きます。

歩むたび彼岸花咲くこの径であなたにだけは何度でも会う

榊原紘「Classic」

彼岸花は、秋の彼岸の頃に、土手や道ばた、田んぼの畦道や墳墓の周辺に咲く花です。
別名が多い花としても有名で、代表的な名前が「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」です。
その他にも、死人花、地獄花、毒花、痺れ花、幽霊花、剃刀花、狐花、雷花などの別名があります。
赤い彼岸花の花言葉は、情熱、独立、再会、悲しい思い出などがあるそうです。

主体が歩むたびに不吉な印象を持つ花が咲きます。
「径」は「みち」と読み、道としては細く小さい道や、目的地までまっすぐ続く道、近道を指すそうです。
主体はどこかに向かって、最短距離で進もうとしているようです。
そこは道らしい道ではなく、主体が始めて開拓するような「径」です。
それなのに、「あなたにだけは何度でも会う」。
目的地が似ているのでしょうか。
誰とも会わない径で、しかも「何度でも」会うのです。
気にならないはずがありません。
でもなぜでしょう、これは恋の歌だと思えないのです。
もっと根源的な、魂が惹かれ合っているような、そんな業の深い二人のような気がするのです。

魂の双子、比翼連理などの言い回しで語られる二人を当てはめたくなる一首だと思いました。

頰と頰くっつけて撮ったその写真のその一点をすごく知ってる

伊藤紺「雪の匂い」

「その」が二回出てくることで唯一性が強調されていると思いました。
連作のタイトルが「雪の匂い」とあるため、冬の寒い中で撮っている景を思い浮かべました。
鼻も赤くなって、手もかじかんで、吐く息も白くなっていたかもしれません。

頬をくっつけて写真を撮る二人はよほど親密な関係なのでしょう。
「すごく知ってる」という言い回しがストレートで、でも忘れがたい印象を残します。
あの時、あの瞬間の、あなたと私の唯一の接触点を今でも覚えている。
主体の相手に対する強い想いを感じる一首でした。

冒頭を集めてアンソロジーを編む、最初はいつも美しいから

千種創一「White Train」

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成『雪国』)
「恥の多い生涯を送って来ました。」(太宰治『人間失格』の「第一の手記」)
「こんな夢を見た。」(夏目漱石『夢十夜』)

魅力的な冒頭を持つ作品はたくさんありますね。
この歌を読んだとき、最初は上記のような小説を思い浮かべました。
でも、何度も読み返して、それは幅の狭い読みなのではないかと思うようになりました。
「冒頭」と書いてあるだけで、小説という指定はありません。
映画、ドラマ、アニメ、マンガ、エッセイ、歌集、何でもよいのです。
もっと言えば、作品でなくてもよく、「人が何かを始めたとき」でもよいですね。
たとえば、「人が始めて詠んだ短歌アンソロジー」なんてとても魅力的です。

「最初はいつも美しいから」という言葉自体が美しさを持ちます。
始まりの純粋な気持ちはきっと美しい。
そう信じているようにも感じました。

友だちと来週フグを食べるから今日の私のレジ打ちの速度

柴田葵「おさしみ」

とても共感できる一首だなぁと思いました。
フグを食べるのも楽しみなのですが、気心の知れた友だちと食べるからより楽しみなのですよね。
結句は「レジ打ちの速度」で終わっているので、速いか遅いか明記されていませんが、いつもよりも張り切って素早く働いている主体を想像できますよね。
奮発した楽しみを直近に置いて自分を奮起させる。
誰にでもある景をとてもうまく表現している一首だと思いました。

あなたとわたしの記憶が混じって見たことのないやわらかなイオンモールが

堂園昌彦「春は水さえとろけさせる」

イオンモールってどこも似たような構造をしている気がします。
でもまったく一緒の建物はないですよね。
階段やエスカレーターの位置、入っているテナント、食品売り場のレジの場所。
「あなた」も「わたし」も今まで見てきたイオンモールのイメージがあります。
それがぶつかるのではなく、混ざり合って、ふたりにとって居やすい、理想のイオンモールができあがる。
空想であっても、そこにはやさしい世界があります。
夜に遠くからほんのり光っているイオンモールが見える、そんな景を思い浮かべました。

生活は才能に負けないことをテディベアの背を縫いながら言う

谷川電話「夢を縫う、たき火を保つ」

不思議な歌だなと思いました。
ですが言いたいことは分かる気がするのです。
「生活」には色々なものが含まれます。
料理、洗濯、掃除、家族や親せきとの付き合い、そしてテディベアを縫うことも。
生活を営むことはすごいことです。
そして、生活を継続しているなんてものすごいことです。
頂点を取るような才能を持つ人はほんの一握りで、きらめく才能を持っていることはたしかにすばらしいことですよね。
でも、生活だって負けてはいません。
積み重ねてきた生活は、生きていく土台になります。
生きていく支えになることをしている人は、みんなみんなすごいのです。
主体が手を動かしながら、声に出して言っているところもいいなと思いました。

花束になれば渡していたような嬉しさがこちらにもあります。

吉田恭大「フェイルセーフ」

「花束になれば渡していたような嬉しさ」という表現がとても素敵だと思いました。
「こちらにも」の解釈に迷いました。
1.相手に花束にして渡した嬉しさがすでにあって、花束にできるほどではない量ですがまだ嬉しさは残ってますよという意味。
2.相手が嬉しさを開示してきて、主体が自分だって嬉しさを持っているよと後だしのように言っているという意味。
最初は2で考えたのですが、1の嬉しさを可視化して手で指しているような感じも好きだなぁと思いました。

加害者はかつて被害者だった日々透けて見えるように見て

菊竹胡乃美「火のぬいぐるみ」

連作では、この歌の前に虐待について詠んでいる歌があるので、この歌もそうなのではないかと思いました。
かつての被害者が心の傷が癒されないまま生きて、今度は加害者になってしまう。
負の連鎖と呼ばれるものがありますよね。
主体は第三者なのかなと思いました。
今は加害者となってしまった誰かの悲しい過去を、透視するように見ている。
見ているだけでどうすることもできない。
誰かとの出会い、取り巻く環境、何かが違えば「加害者」にはならずに済んだはずなのに。
客観的に描いているのに息苦しくなる一首だと思いました。

やるべきこともやりたいこともやらずただ無駄に起きてるぜいたくな夜

宇都宮敦「羊毛期の到来(ウール、ウール、ウール)」

これは最高のぜいたくだなと思いました。
今すぐじゃなくてもやらなくちゃいけないこと、やりたいと思いながらなんとなく手が付けられないことってありますよね。
それらをぜんぶやらないで、ただYouTubeを見たり、Xを見たり……。
時間は過ぎていくのだから寝てしまえばいいのに、なんとなく罪悪感があって寝るのも微妙だったり。
「無駄」と言い切りながらも、「ぜいたく」と言っている主体は確信犯でやってますよね。
観念して寝た方が良い夜も、こんな風に歌にできるのだなぁと面白く感じました。

今日の月にも名前があって こころってひとつじゃなくてもいいと思うよ

初谷むい「天国紀行」

新月、二日月、三日月、上弦の月……と月には名前がたくさんあります。
考えてみると不思議ですよね。
月自体は変わっていないのに、地球から見て見え方が違うから名前が変わるなんて。
「こころってひとつじゃなくてもいいと思うよ」がストンと心に落ちてきて、好きだなと思いました。
月ですら見え方ひとつで呼び名が変わるのだから、人間の持つ、目に見えない「こころ」がいろいろあってもいいじゃないか。
むしろあるのが当たり前なくらいだよとやわらかく教えてくれます。
大切な人に語りかけているようなやさしい一首だと思いました。

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