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蝦名泰洋・野樹かずみ『クアドラプル プレイ』

蝦名泰洋さんと野樹かずみさんの『クアドラプル プレイ』(書肆侃侃房)を拝読いたしました。
この歌集は、蝦名さんと野樹さんが一首ずつ交代で読んだ短歌両吟集です。
印象に残った歌を引きます。

消えることに一途な虹を追いかけて慣れたもんだよさよならなんて/蝦名泰洋

虹ってうっすらと見えて、今にも消えてしまいそうですよね。
架かるために出ているというよりも、消えるために出ているという方がしっくりくるなとこの歌を読んで思いました。
「慣れたもんだよ」と言いながらも、主体は消える虹を懸命に追いかけています。
人と出会うということは、いつかは別れるということ。
分かっていても私たちは他人と交流をしようと試みてしまいます。
たとえ消えてしまうとしても、今出ている虹はとても綺麗で、心惹かれてしまいますよね。
満たされた気持ちを一瞬でも味わうために、私たちは他人と出会おうとするのかもしれませんね。

さびしさの底のほう、もっと底のほうへひとりを探しにゆく 月あかり/野樹かずみ

主体はさびしさの底の方へ、恐らく下へ、下へと掘り進めていきます。
恐らくさびしさには底はないのではないでしょうか。
そうやって掘り進む過程が「ひとり」を探しにゆくということなのだと思いました。
自分というたったひとりの核を探すためには、時にはさびしさの向こう側を探さなければならないのです。
とても孤独な作業です。
ふと見上げると、遠い遠い穴の入り口から月あかりが差します。
やわらかい光は主体の心を和ませるでしょう。
そして、案外近く、たとえばすぐ隣にも同じように穴を掘っている誰かがいて、同じように月を見上げているかもしれません。
人はひとりになるのが必要な時もあります。
それでも、どこかに同じ方向を目指す隣人が必ずいるのではないかと思いました。

ページをめくる指から涙がこぼれ落ちるような詩集を読みたいなあ/野樹かずみ

ああ、本当にそうだなあと思わず頷きたくなる一首です。
「ページをめくる指から涙がこぼれ落ちるような詩集」です。
なんて素敵なんでしょうか。
主体はまだ理想の詩集には出会えていないようです。
これは主体の心の底からの願いではないかと思いました。
こんな素敵な願いを持つ主体ならば、自分で詩集を生み出してしまいそうだなとも思いました。

もしかしてこころは一個かもしれぬ七十億人生きているのに/蝦名泰洋

多様な人々がこの世界には生きています。
でも、こころの根っこのところは一緒のような気がするのです。
優しくされたら嬉しいし、冷たくされたら悲しい。
そんな単純なことが忘れられてしまうことが多々あります。
いっときの感情に呑まれて、誰かを傷つけてしまうこともあります。
相手もこころを持っている。
それは、自分と同じ成分を持っているかもしれない。
そんな風に思えたらいいな、忘れずにいられたらいいなと、この歌を読んで思いました。

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