見出し画像

川野里子『天窓紀行 短歌日記2020』

川野里子さんの『天窓紀行 短歌日記2020』(ふらんす堂)を拝読いたしました。
印象に残った歌を引きます。

九月十七日(木)
カシューナッツちからを溜めて皿のうへこんな形の苦しみがある

子供を叱ってそのことを忘れてしまっていた。いつも通り声を掛けると「僕はそんなこと言ってない」と声を絞り出した。子供はまだ全力で叱られていた。

歌ももちろんですが、日記部分とセットでより印象に残りました。
カシューナッツの形を思い出してみると、確かに力を入れているようにも見えます。
私たちはそんなことに気づかずひょいひょいとカシューナッツを食べてしまいます。
もう過ぎてしまったことと周りが忘れてしまっても、本人は鮮明に覚えていてまだ苦しみの最中にあるかもしれません。
自分が「傷ついている本人」になることもあれば、「鈍感な周りの人」になることもある。
人と関わることの危うさを表している一首だと思いました。

十月十日(土)
怒るわれを怒らぬ息子がみておりぬ未来からしんと振り返るように

最近の若い人は怒らない。なぜ?

主体が怒っているのは自分と直結していることではなく、時事的な事柄についてではないかと思いました。
怒るには労力が必要です。
また、相手に対する期待がなければ怒ることはありません。
世界はこうあるべきだ。
もっと言えば、世界はよりよくあるべきだ。
そういう強い気持ちがなければ、怒ることはできないのではないでしょうか。
主体は怒らない息子が、未来を見通しているかのように感じているようです。
もしかしたら、最初から諦めている、期待していない、そして期待することを知らない世代というのが、どこかで線引かれているのではないかと、私は思いました。

十二月八日(火)
気がつけば山茶花ぴしりと咲きてをりこんなにしづかに怒るのは誰

若い女性の自殺が増えているという。

山茶花は10~12月に見頃を迎えるそうです。
他の花が枯れていく寒い時期に、他を寄せ付けぬ「ぴしり」とした姿勢で咲く花。
怒りの表現方法は様々ですが、その一つに「自分を傷つける」というものがあると思います。
本当なら外に表現されるはずの怒りが内に向かう。
言語化されない外からの圧力が、人の心を蝕み、悲しい最後の抵抗を選ばせます。
そう、その行動は、消極的なものではなく、もっと苛烈な感情を抱えていると主体は感じているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?