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月野ぽぽな『人のかたち』

月野ぽぽなさんの句集『人のかたち』を拝読しました。
印象に残った句を引いていきます。

街灯は待針街がずれぬよう

「針」や「待針」で調べたのですが、季語ではなさそうです。
「針供養」という季語はあるのですが、この句には該当しないように思います。

街灯を待針に見立てる感覚が素敵だなぁと思いました。
本の一句目がこの句で、「これは買うしかないな」と決定打になりました。
街灯は人が立てたものです。
ここは人が通るところだと定義しているようだと、この句を読んで思いました。

波打ち際は初夏の鍵盤指を置く

「初夏」は夏の季語です。
【陽暦なら五月、陰暦なら卯月のころを指す。空はからりと晴れ渡り、暑さもまだそれほど強くはない。まことにすがすがしい気候のころで、大型連休を利用して行楽客が山や海へ繰り出す。】とのことです。

こちらの句も、波打ち際を鍵盤に見立てているのが素敵だなぁと思いました。
しかも「初夏の鍵盤」です。
爽やかで、晴れやかで、うきうきした気持ちが伝わってきます。
「指を置く」が波打ち際が手元にやってきたようで、主体が初夏を満喫しようとしているのかなぁと思いました。
イメージが素敵で好きな句です。

しゃぼん玉こころの速度かと思う

「しゃぼん玉」は春の季語です。
【石鹸水をストローの先につけ、軽く息を吹き込んで泡を膨らませる遊び。すぐに割れることもあれば風に乗って遠くまで飛ぶこともある。春らしいのどかな遊びである。】とのことです。

しゃぼん玉は、しゃぼん玉自身が飛んでいるというよりは、風に吹かれてあっちへこっちへふわふわ飛んでいきますよね。
「こころ」ってままなりませんよね。
なかなかいう事をきかなかったり、思いもかけないところまでいってしまったり。
「こころ」に合わせて生きていくのは大変です。
動きではなく、「速度」に注目しているところがこの句の面白ところではないかなと思いました。

折り癖のついた感情牽牛花

牽牛花(けんぎゅうか)は朝顔の漢名だそうです。
朝顔は秋の季語です。
【朝顔は、秋の訪れを告げる花。夜明けに開いて昼にはしぼむ。日本人はこの花に秋の訪れを感じてきた。奈良時代薬として遣唐使により日本にもたらされた。江戸時代には観賞用として栽培されるようになった。】とのことです。

「折り癖のついた感情」とは何でしょうか。
何度も何度も折られて、くしゃっとなっているのを想像しました。
かなしいとか、さびいしとか、そういう感情を我慢してできた「折り癖」なのではないかなぁと思いました。
うら寂しさが秋の季語である「牽牛花」と合っていて好きだなぁと思いました。

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