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新井きわ『きみの涙はぜんぶ受け止める』

新井きわさんの『きみの涙はぜんぶ受け止める』を拝読しました。
印象に残った歌を引きます。

柔軟にかつアルデンテに生きたしと後ろに黒髪キュッと束ねる

「柔らかく生きたい」と「芯を持って生きたい」は両立するだろうかと時々考えます。
他人を受け入れながら、自分を守ることは可能でしょうか。
この歌には同じ悩みを持って生きている主体がいる気がしました。
「生きたし」と主体は言います。
そういう自分でありたいと、決意を持って前を向く主体がいます。
下の句の凛とした態度がまぶしく、でもとても地に足をつけた己への鼓舞だと思いました。

この地球の自転に取り残されている スーパー半額ハンターになれず

上の句の壮大な絶望と、下の句の日常感が好きな一首です。
スーパーで半額のシールを店員さんが貼ってくれるのを狙って買う人を「ハンター」と呼んでいるのでしょう。
同じお惣菜を買うなら、お得なほうを狙う方が、地球の価値観に適合している感じがします。
しかし、主体はハンターにはなれません。
欲望をむき出しにする感じが少し苦手なのかもしれませんね。

荒ぶれるこころのボリューム下げたれば人生まなかに蟋蟀の鳴く

「こころのボリュームを下げる」という表現が好きだなぁと思いました。
こころが安定しない時って、周りの声を肯定的に聴くことが難しくなりますよね。
それを自分で調整して、ちょっと耳をすませてみると、コオロギが鳴いているのに気が付く。
人生も折返しだなぁと思うような年齢に、主体はそれができるようになったと読みました。
何かをできるようになることに、遅すぎるということはありません。
たまたまその人が変わるタイミングが、その時だったのです。
主体の耳に入るようになったのは、コオロギの鳴き声だけではなく、自分を心配したり慈しんでくれたりしてくれる、他人の存在だったのではないかと想像しました。

投げつけたい言葉を君は辛夷の実になるまでギュッと握りしめてる

調べてみたところ、辛夷の実は、握りこぶしに似たピンク色の実のようです。
「投げつけたい言葉」という言い回しは、内容がやさしくないことを物語っています。
具体的な言葉は分からないけれど、自分を傷つけるかもしれない言葉を、言わずに我慢している「君」に、主体は気づいています。
遠慮せずに言ってくれてもいいのにと思っているかもしれませんね。
でもきっと、言わずにいることが「君」のやさしさの形なのでしょう。
握りしめたこぶしが痛々しいほどに、「君」は我慢強くやさしい。
そのやさしさに救われているのだと分かっている主体は、こぶしを握りしめる「君」をただ見つめています。
主体が「君」のテリトリーに踏み込まないことは、信頼を示しているとも言えるのではないかと思いました。

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