塚本邦雄『塚本邦雄全歌集 第一巻』
塚本邦雄の『塚本邦雄全歌集 第一巻』(短歌研究社)を拝読いたしました。
塚本短歌の原点である初期三作『水葬物語』『裝飾󠄁樂句(カデンツァ)』『日本人靈歌』、そして昭和23年10月の日付のある新発見『火原翔󠄁 俳句帖』を収録しています。
それぞれの作品の中から印象に残った歌を引いていきます。
『水葬物語』の巻頭の一首です。
本書を読む前から知っていた歌です。
「液化してゆくピアノ」というフレーズがとても頭に残っていました。
今回改めて意味を考えてみたいと思って選びました。
「革命歌」は革命運動、革命に参加する人々を鼓舞するための歌だそうです。
革命歌の作詞家に凭(よ)りかかられるピアノ。
作詞家のピアノの音色が、思想によってすこしずつ歪んで溶けていく様を思い浮かべました。
作曲家ではなく、作詞家なんですよね。
ピアノを弾くのは作曲家のような気がするのですが、「革命歌」の肝はその歌詞にあるのでしょう。
人々を鼓舞する歌は、正しい方向へ導くだけではなく、歪んだ恐ろしい道を進ませることもあるのではないでしょうか。
本来は決して溶け出すことのないピアノが液化するというインパクトが、革命と音楽を融合させる罪深さを描いていると思いました。
『水葬物語』の最後の一首です。
「園丁」とは庭師のことです。
どこかの屋敷で、園丁が薔薇に水をやっています。
薔薇を擬人化し「沐浴(ゆあみ)」をしていると表現しているのが、薔薇が自由に生き生きと水を浴びている様を描いていると思いました。
その時、蝶がまるで意思を持っているかのように、園丁の周りを離れずに飛び回ります。
園丁は蝶にされるがまま、薔薇が沐浴を終えるのを黙々と待っています。
時間が止まっているようにも感じる、とても美しい景だと思いました。
「明日のため睡るものら」というフレーズにまず惹かれました。
このフレーズからは生活を続けていこうとする人間の意志を感じます。
そして夏や太陽を想起させる「向日葵」が登場します。
しっかりと育つ向日葵は、種子にしっとりと露を含んでいます。
向日葵も次世代に向けて準備をしているのです。
上の句、下の句ともに前向きに明日に向かっていくイメージを持つ一首だと思いました。
こちらも「月光の泡だてる部屋」というフレーズにまず惹かれました。
月光の差し込む様子を「泡だてる」と表現しているのが独特で、部屋に月の光が満ちていく様子を思い浮かべました。
「骨牌」は、小倉百人一首などの歌留多もありますが、おもに賭博に使われる花札を指すこともあるそうなので、後者ではないかと思いました。
「濡手」は水に濡れた手という意味ですが、手に汗を握っているのではないでしょうか。
総合して、月光の満ちていく部屋で、紳士たちが手に汗を握って緊迫しながら花札をしている景と解釈しました。
上の句の幻想的なフレーズと、下の句の生々しい緊迫した紳士たちの様子が対比している一首だと思いました。
『日本人靈歌』の巻頭の一首です。
本書を読む前から知っていた歌です。
「皇帝ペンギン」は別名エンペラーペンギンとも呼ばれる、南極に生息するペンギンです。
「皇帝」という仰々しい名前の付いたペンギンが、日本という小さな島国の動物園に飼育されている。
皇帝ペンギンは飼育されている環境から逃げ出したい。
皇帝ペンギンを飼育している人間も、何らかの事情から、現状から逃げ出したい。
二つの命は共鳴し、「日本脱出したし」という言葉が生まれる。
人間もペンギンも脱出したいのは日本というくくりではなく、今の状況なのではないかなと思いました。
高熱で伏せっている主体。
主体の熱くなった額に、家族が変わるがわる触れて熱の調子を確かめている。
それらの手を「つめたい」と感じる主体。
景自体は分かりやすいですね。
この歌には、主体を心配する家族と、家族に心配されていることを受け入れている主体がいます。
このあたたかい関係性が、額に触れるという描写だけで表現されているのが素敵な一首だと思いました。
『火原翔󠄁 俳句帖』は日本現代詩歌文学館に収蔵されている、「火原翔󠄁」名義の自筆俳句帖を翻刻したものです。
第一歌集『水葬物語』に先立つ、あるいは並行する時期に創作された俳句群だそうです。
初句のストレートな「妻を愛す」に惹かれました。
収入源となる葡萄園が枯れ果て、そばにいるのは妻一人となってしまった。
何もない状況に陥ったからこそ、支えてくれようとしている妻を愛そうと決意する。
そんな景と読み取りました。
「寒光」はさむざむとした光や、さびしい光のことです。
冬の夜、月光に照らされた掌を見ると、おびただしい傷が見える。
実際に傷があるのかもしれませんが、今までに負った心の傷を想起しているという景と読んでもよいかなと思いました。
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