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塚田千束『アスパラと潮騒』

塚田千束さんの『アスパラと潮騒』(短歌研究社)を拝読いたしました。
印象に残った歌を引きます。

言い返せず紫陽花喉にはちきれて泣く固まりとなる我ひとつ

とても心情が伝わってくる一首だと思いました。
言い返すことができず、主体はよほど悔しかったのでしょう。
「紫陽花喉にはちきれて」が言いたいことがあるのにうまく言葉にできず、ただただ膨らんでいくばかりであるという意味だと取りました。
「泣く固まり」になってしまうというのもダイナミックです。
主体の力の100%が泣くことに注力されているのが伝わってきました。

傘を折るめちゃくちゃに折るずぶぬれの君のとなりをあるく理由を

好きな一首です。
比喩がとても効いていると思いました。
「ずぶぬれの君」は、きっととても傷ついて弱っています。
「きみのとなりをあるく」ためには、傘をしまうだけではだめなのです。
持っている傘をわざわざ折る。しかもめちゃくちゃに。
同じ傘がない同士になれば、君のとなりを歩けると主体は思っているようです。
でも、元々傘を持っていた主体と、傘を持っていなかった君の間には、溝があるのではないかと私は感じました。
君はとなりをあるく主体の行動を受け入れることができるでしょうか。
そんな余裕はあるのでしょうか。
主体の君への強い気持ちが伝わってくるだけに、心配にもなってしまう一首でした。

さくらさくら つよくなりたいほんとうはつよくなくてもいいとしりたい

「さくらさくら」のリフレインと、すべてひらがな表記であることで、歌うような一首です。
主体は現状「つよくなりたい」と思っています。
でも本当は、強くなくても生きていく方法はあるのではないかと気づき始めているようです。
結句の「しりたい」は、頭で理解するのではなく、心で納得したいという意味だと取りました。
やわらかな見た目の歌でありながら、必死で生きている主体の姿を思わせる一首でした。

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