あなたの短歌よみます!!第3回
Xのスペースで「あなたの短歌よみます!!第3回」という企画を行いました。
募集のポストにいいねをして頂いた順に、13名の方を選ばせて頂き、その方のタイムラインで気になった短歌を鑑賞しました。
この記事はその文字版です。
すてきなもので構成されている一首だと思いました。
「愛おしく思うとき」「やさしい色」「きみのための花束」
結句の「わたしは」に存在感がありますね。
きみのためだけに生きているわけではない、自我を持った「わたし」を感じます。
きみのためだけの存在になる。
そんな瞬間が少しでも多くあればいい。
そう願っているようにも感じる一首だと思いました。
ハクモクレンは、モクレン科モクレン属に属する。
花の時期は3~4月、高さ15mと見上げるような高さの位置で大きな白い花が上向きに開花します
名前の由来は、花の形が蓮の花に似ている木であることから、「木蓮」と書く。花の色が白いので「白木蓮」と書く。
花が終わる頃に葉が出る。花が咲くころは、葉がなく、木いっぱいの花の開花を楽しむことができる。
「あの角の」という言い方から、主体はこの地域に長年住んでいるのではないかと想像しました。
ハクモクレンが上向きに咲くことを、「空に向け背伸びをする」という表現をしているのが素敵です。
人によって、春を感じるものは違います。
風の温かさだったり、スーパーの品ぞろえだったり、何かの行事だったり。
主体にとっては、ハクモクレンがそれにあたります。
実感を持って春を感じているところも素敵なお歌だなぁと思いました。
結句「昼間を潜る」で、日常をなんとか乗り越えている主体を想像しました。
眠ることを潜ると表現するのではなく、起きて活動することを潜ると表現しているのが面白いと思いました。
ほとんどの人は夜に寝て、朝起きて、昼は活動して一日を終え、それを繰り返していきます。
主体はそのリズムにどこか限界を感じているのではないでしょうか。
昼間、息継ぎができる場所や時間を探しながら、主体は生活を続けていくのでしょう。
日常に馴染めない感覚を持ちつつ、自分から「潜る」ことを選んでいる主体に、意志の強さを感じる一首でした。
愛らしい一首だと思いました。
「飼い主を散歩させてる」に、うきうきと、堂々と歩いている柴犬さんを想像して、微笑ましくなります。
飼い主を先行している、ちょっとやんちゃな性格の子なのでしょうかね。
下の句では言ったように、言ってくれたように、教えてくれたように感じたのでしょうね。
早く早くと急かしていたのは、きっと「風」を私に教えてくれるためだったんだ。
そう受け取る飼い主の柔らかな感性が素敵な一首でした。
日本では「第九」の名で親しまれている、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番第4楽章「歓喜の歌」のことですね。
第九の正式名称は、「交響曲第9番 ニ短調 合唱付き 作品125」というそうです。
ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲だそうです。
「歓喜の歌」は第4楽章で合唱によって歌われ、演奏されます。
ちなみに、この最終楽章に合唱が入る形式は当時斬新だったそうで、後にメンデルスゾーン、リスト、マーラー、ショスタコーヴィチなどが取り入れているそうです。
歌詞は、ドイツの詩人、フリードリヒ・シラーが1785年に初稿した「歓喜に寄せて」がもとになっています。
原曲の歌詞はドイツ語ですが、世界中の多くの言語に翻訳されており、その歌詞で歌われることもあります。
「歓喜に寄せて」が作られたのは、フランス革命によってヨーロッパが「自由」に熱狂していた時代でした。
ベートーヴェンは1972年、30代の頃に初稿に出会い感動し、1803年の改訂版に曲をつけ、「歓喜の歌」として交響曲に取り入れました。
現在でも、自由や平和の象徴として歌い継がれており、1985年にはEUで「欧州の歌」として採用されているとのことです。
歌詞は、第4楽章の歌詞に織り込むにあたって、3分の1ほどの長さに翻案している。冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う“おお友よ、このような音ではなく…”は、ベートーヴェンが自分で考えたものであり、シラーの原詩にはないそうです。
なので、原題は「歓喜に寄せて」、ベートーヴェンの第4楽章は「歓喜の歌」と呼ぶのかなと思いました。
さて、この一首に戻ります。
日本だけが「歓喜の歌」と呼んでいるのかどうかは調べきれませんでした。
言葉だけを見ると、「歓喜に寄せて」は少し客観的ですよね。
「歓喜の歌」は喜びが爆発しているように感じます。
この一首にあるように、日本に輸入する際に「歓喜に寄せて」が「歓喜の歌」に訳されたのだとしたら、訳した人はきっと寿ぎたい気持ちが強かったのだろうと思いました。
日本でも年末に演奏される定番曲ですが、「歓喜の歌」という開放的なタイトルも親しまれる理由のひとつかなぁと思ったりしました。
読みの区切り方に迷いました。
1.なんとなく買って帰った方がいい 気がしたケーキのいちごつややか
2.なんとなく買って帰った方がいい気がした ケーキのいちごつややか
3.なんとなく買って帰った方がいい気がしたケーキの いちごつややか
2が好きかなと思うので、その読みでいきます。
ケーキは誰のものでしょうか。
もしかしたら、怒っているか落ち込んでいる同居人のために買ったケーキかもしれませんね。
その読みも好きなのですが、私は、自分のために買ったケーキと読みました。
主体は予感がしたんです。
「あ、このまま帰ると、私、ひどく落ち込む気がする」と。
その対策として、自分のテンションを上げるアイテムを見つけます。
つややかないちごが載っているケーキです。
自分で自分の機嫌を取るために買ったケーキ。
ちょっとお高めのを選んだかもしれませんね。
主体が一日を穏やかに終えたことを願います
文月も葉月も和風月名ですね。
文月が7月、葉月が8月。
「文月」「葉月」とどこかで目にしたのか、誰かと話したのか。
何それ、おいしいの?みたいなノリで面白いですね。
きっと相手が説明してくれたのでしょうが、主体は覚える気がありません。
「とりあえず夏ってことね、オッケー!」という感じです。
主体の大雑把ともいえる大らかさは、どこかでだれかを救うのではないかな、と思わされる一首でした。
苦しい一首だと思いました。
「トイレットペーパー以外は流さないでください」という張り紙は、外出先のトイレでよく見ますよね。
主体は、何か辛いことがあったのか、トイレに逃げ込みました。
外でひとりになれる空間はトイレくらいしかありません。
泣きそうになるほど追い詰められている主体の目に映ったのは、「流さないでください」という文字。
普段なら気になりませんが、ひどく落ち込んでいる主体には、まるで自分が涙を流すことを禁止されているように思えてしまいました。
何かショックなことがあったというよりは、ずっと蓄積したものがあふれ出しそうになった、その瞬間の弱った心の無防備さを描いているところに惹かれる一首でした。
今ではあまり見なくなりましたが、コロナの緊急事態宣言などが出ていたころは、お店の入口に体温を測る機械が置いてありましたよね。
冬の景でしょうかね。
一般的に、平熱は大体36℃くらい。
それよりも大分下回った数字が映しだされたのでしょう。
体温が低いということは、問題ないということです。
しかし主体は、モニターに映った自分の顔に体温が表示されたとき、なんだか自分が冷たい人だと言われているように感じました。
数字を見るとどうしても、何かを評価されているように感じてしまうものです。
それが自分の顔に表示されているのだから、ますます何かを判定されているようです。
日常となった景色から、違和感を切り出したところに惹かれる一首でした。
なんとも無邪気なお願いです。
相手は実際に口を開けたのでしょうかね。
相手が口を開けてくれたのだとしたら、主体はその従順性に満足していそうです。
「おいしいがどこへ行ったか見たい」というのはきっと口実で、自分の言う通りに動いてくれる相手を見たいというのが本音なのではないかなと想像しました。
口を大きく開けるというのは、無防備でちょっと間抜けな姿です。
その姿を私に見せてというお願いは、なんだかサディスティックな雰囲気も感じます。
最初は無邪気という印象を受けた一首だったのですが、読み込んでいった結果、なんだか倒錯的な読みになっていきました。
不思議なお歌です
「電子の闇に咲く花火」がいいなぁと思いました。
SNSをしていると、いいねの数が伸びるとやはり嬉しかったりします。
でも、行き過ぎて、それこそ何万いいねとかになってくると、もうその呟きは自分の手元を離れてひとり歩きしてしまうでしょう。
主体は、バズることを狙って、仕込んだんですよね。
だから、もしそれがバズったら、狙い通りなわけです。
でもSNSはよいことばかりではありません。
「電子の闇」からは、否定的な言葉や読み違えた解釈が飛んでくることもあるでしょう。
まさに「火傷に注意」です。
思いもよらぬ呟きがバズって慌てるケースもありますが、主体は仕込んでいますので確信犯です。
火遊びのスリルを楽しんでいる様子が表現されているのがよいなぁと思った一首でした。
可算名詞とは数えられる名詞のことを指すそうです。
そして、不可算名詞は数えられない名詞のことを指します。
可算名詞は、単数の時は「a/an」といった不定冠詞が付き、複数の時には名詞の後ろに「s/es」が付いて複数形になります。
一方、不可算名詞は数えることができないため、単数複数という概念がないそうです。
ひかえめに手を振っているのは主体ときみどちらでしょうか。
私は、きみが手を振っているのを、主体が見ていると読みました。
愛、loveは数えられないので、本来は不可算名詞です。
でも主体には、きみは別の言語を使っている人のように思えた。
きみにとっては、精一杯の愛情表現が「ひかえめに手を振る」なのかもしれません。
しかし、主体には少し物足りないのかもしれませんね。
他人同士が理解し合うのはとても大変なことです。
たとえば同じ日本語を使っていても、育ってきた環境や人間関係や興味を持つもので、まったく話が合わないこともあります。
主体の問いかけは、歩み寄りのサインではないでしょうか。
まったく違う文化を持つかもしれない私たちですが、一歩ずつ理解し合いましょう。
そうしていくことを、続けませんか。
結句の「でしたか?」がやさしく響く一首だと思いました。
夢を見ているような一首だと思いました。
スターダストは、星くず、宇宙塵という意味です。
星の降る日に泣いてしまう主体。
流れ星の出す星の塵に反応して涙が出てしまう。
そのままの意味で読んでもSFちっくでとても素敵です。
もう一歩踏み込んで読んでみます。
主体は「ごめん」と言っているのですよね。
つまり相手がいるのです。
突然泣き出した主体に、相手はびっくりしているでしょうか。
相手と二人で星が降る夜空を見上げている。
ああ、なんて幸せなんだろう。
このままずっとこうしていたいなぁ。
そんな気持ちになって、自然と涙が出てきた。
でも、そんな感傷的な気持ちをそのまま相手に伝えるのは恥ずかしい。
だから、誤魔化すためにこの一首の言葉を言った。
こんな解釈はいかがでしょうか。
言い回しが美しく、とても惹かれる一首だと思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?