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睦月都『Dance with the invisibles』

睦月都さんの歌集『Dance with the invisibles』(角川書店)を拝読いたしました。
印象に残った歌を引きます。

五時の鐘鳴りておどろく 帰らなくてはいけない家があつた気がして

家にいるのにどこかに帰りたくなることがあります。
「帰る場所」のイメージは実家ではありません。
もっと懐かしくて、夕日が差していて、ほんのりとあったかいような場所。
この歌は「帰りたい」ではなく、「帰らなくてはいけない」と詠っています。
誰かがどこかで待っているイメージを、主体は持っているのではないかと思いました。

お母さんわたし幸せなのと何度言つても聞こえぬ母よ 銀杏ふる日の

主体の母親は、主体の「幸せ」を願っています。
幸せという言葉は随分と漠然としたものですね。
価値観の違いという断絶は残酷で、主体が何度「幸せだ」と言っても、母親の目にはそうは映りません。
母親には自分が信じている幸せの形があるのでしょう。
そこからはみ出している主体は、母親にとっては「幸せではない」状態なのです。
誰かの幸せを願うことが時に呪いになってしまうことがある。
そんな恐ろしい事実をさらりと描いている一首だと思いました。

人とゐて深く呼吸のできる夜 肺を得たりし魚のごとくに

人と一緒にいることで呼吸ができるようになるという感覚が不思議だと思いました。
主体は普段一人でいると、まるで陸に上がった魚のように息苦しく感じているのでしょうか。
きっと主体が一緒にいるのは気を許している相手なのだと思いました。
話していても無理をしなくてよくて、力を抜いていられる。
そんな相手と一緒にいて、ようやく主体は深く呼吸ができるのです。

あなたの外にあなたのたくさん読んだ本があって可笑しい うれしくて笑ふ

本を読むと内容がその人のなかに溶けていきます。
考え方や生き方に読んだ本の内容が反映していくでしょう。
しかし本そのものがその人の中に吸収されるわけではありません。
本を読めば読むほど外側に、その人の読んだ本が積まれていきます。
主体は「あなた」の本棚を見る事ができる距離感にいるようですね。
他人の本棚を見るのは、なんだかその人の頭の中を覗いているようでどきどきします。
主体は高揚感の中、思わず笑ってしまったのでしょう。

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