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短編小説『尼の泣き水』

[朝日さし 夕日輝く 国分寺 いつも絶えせぬ 尼の泣水]誰が歌ったものかはわかりませんが、この歌とともに「尼の泣き水」伝説が語り継がれています。天平13(741)年、聖武天皇は人々の平和な生活を願って、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。相模国では、風光明媚な土地である海老名の地に建てられることになりました。やがて天をつくような七重塔がある国分寺が建てられ、そこから北に500mほど離れた場所に国分尼寺も建てられました。
 
今ここで、私は歴史的考証に深入りする者ではない。が、この民話を、読者諸氏と共有する上で、最低限、話しておかなければならない大前提がある。
奈良時代、すなわち750年頃、主に大規模な疫病(今でいう天然痘(てんねんとう))とそれにまつわる大飢饉(ききん)のせいで、国内は、大混乱状態にあった。そこで、時の聖(しょう)武(む)天皇は、仏教による国家鎮護(ちんご)のため、各地に国分寺を作った。
早い話、打つ手がないので、仏教の力にすがる他なかったのである。
よって、現・海老名市国分である相模国にも、相模国分寺と国分尼寺(にじ)が建立されたのである。
 
凍てつくような初冬の時期のことである。
国分尼寺の尼(あま)僧(そう)たちは、朝(あさ)勤行(ごんぎょう)と下座(げざ)行(ぎょう)を終えた後、質素な粥を食す。
それぞれ手を合わせ、目を瞑り、今日の食事への感謝の念を告げ終わると、お局的な尼僧が、最近、出家(しゅっけ)遁世(とんせい)してきたばかりの若い尼僧であるお照(てる)に、
「――では、水汲みの方、よろしくお願いします」
と、どこか陰性の敵意があるような語気にて、告げる。
「はい、分かりました」
そんな扱いを受けても、お照は健気である。
早速、かじかんだ手先でもって桶を持ち、大門を出て、相模川へと水汲みへ出かけに行く。
小高い丘の上に建立された国分尼寺には、井戸がなかった。ゆえに、急な坂を下り、相模川まで、毎日、水汲みにいかざるを得なかったのである。
そうして、水汲みの仕事は下っ端の仕事と決っている。逆にいえば、下っ端に仕事を押し付けるのは、どこの世界も、お局的な存在と、古今東西、相場が決っている。
そこで、
 
その頃、国分寺の下を流れる相模川で、魚を取って暮らしていた若い漁師がいました。
 
というくだりになるのである。
この若者、名は次郎(じろう)というのだが、一人暮らしではない。元は、漁師の父親と母親、そして、姉の三人暮らしであったが、例の流行の疫病、天然痘によって、母親と姉を失くしている。
父親は生きてはいるが、今も天然痘に罹っており、寝たきりの状態である。それを、一人で面倒を見ている。
そんな困難な状況下でも、お上からの租税(そぜい)は免れない。自分が漁に出て、父親と自分を食わせ、かつ、お上にも、魚をいくらか献上しなければならなかったのである。
その日も、漁に出る前、もち米と米紛を混ぜて煮込み、飲ませようとしたが、やんぬるかな、父親の口は何も受け付けなかった。
「……行ってくるよ」
と、次郎は、誰にともなく言い残し、漁に出た。
なるこ、浮きだる、はっぽう、竹筒、いかり、ドウラン、沖箱、などを載せた小舟で、いつものように、鮎を釣るべく、網を張っていると、同業者らしき輩どもの陰口が、どこからともなく、聴こえてくるのである。
「ったく、疫病神が来たよ、疫病神が」
「本当だ、本当だ」
「あいつにだけは、近づいちゃいけねぇ。なのに、魚だけは、よく近づくんだから、気に食わねぇ話よ」
別段、彼らと因縁があるわけではないのである。
そもそも、彼らは、本物の漁師ですらない。天然痘という疫病と飢饉が続いてから、というもの、食っていくために、山・川・藪・沢、所かまわず、手段問わず、荒らしまわっている、いわゆる”賊”共であった。
では、なぜ、彼らは次郎を敵視しているのか?
不思議なこと、太古の昔から、人間の世には、「噂」というものが、存在していたようである。
曰く、この忌まわしき天然痘という疫病を持ち込んだのは、『野蛮人の船から疫病を移された一人の漁師』、それが、次郎の父親である、という風説が、この界隈ではまことしやかに言い伝えられていたのである。
この相模川近辺に限らず、船着き場となる地域は全国との交易、交流、仲介の場所でもあったがゆえ、そういう穿った見方に勢いをつけていた。
にしても、その実、まったく根も葉もない、風評被害であった。
――そんな”賊”共の野次に対しても、次郎は、にこにこ笑顔で、対応する。
(こんなご時世だ。彼らも、大変なのだろう。いくら、養老(ようろう)律令(りつりょう)が出たって、そう簡単に、人は変わらない)
そこに、水汲みに来た、お照と出くわすわけである。
いかにも難儀そうに、よろめきながら、河川の岸辺へと、近づいてきたお照を見た時、次郎は、はっ、と思うところがあった。
次郎は、すぐに舟を岸辺へと漕ぎ止め、はぁはぁ、と息切れしているお照に向かって、歩み寄った。
次郎は、
「大丈夫ですか?」
と、素直に問いかけた。
お照も、息をようやく整えて、
「はい。だ、大丈夫です」
とだけ、返す。
次郎はそれでも何か居ても経ってもいられない様子で、
「お疲れでしょう? せめて、水汲みだけは、僕にやらせてもらえませんか?」
と、お照に言った。
お照は、はっとし、顔を上げ、
「い、いいんですか?」
と返す。
「ええ、勿論。ご迷惑でなければ」
話ここに至って、原作の、
 
その漁師はいつしか国分尼寺の尼さんと知り合い、たがいに愛し合うようになりました。
 
という下りになるわけである。
ただ、それだけでは、説明不足であろうから、その前後を、筆者の私が、詳細に描写してゆこうと思う。
「――しかし、偉いですね。僕は神仏なんて当てにならない、と思っていますから」と次郎は、独り言のように呟きながら、川の水を桶に掬ってみせて、
「……姉にね、毎日のように、飲ませてあげたんですよ、この相模川の綺麗な水を。伝染病に罹っている間、しきりに、水を飲みたがったんでね。それこそ、貴女のように、毎日、こうして、相模川へ、桶を持って、水汲みに来たものです。でも、――治らなかった」
それを受けて、お照は、眉をひそめて、地団駄踏みたいような気持ちになった。
次のような言葉が、喉の先まで、出かかっていたのである。
(違うの。私だって、そうなの。……私の弟だって、そうだったもの。……だから、私、出家して、尼僧になったの。――だから、だから……)
そう、口に出そうと思った矢先、一艘の漁船が、二人の後ろを通り過ぎ、例の”賊”共が、矢庭に大声叱咤してくるではないか。
「おい、次郎‼ いい加減、俺らに魚納めねぇと、どうなるか、分かってんだろうな⁉」
そう言われて、次郎は、彼らを仰ぎ見て、「すみません!」とすぐさま謝り、にこにこと苦笑いを浮かべた。そうして、すぐ魚取りの仕事に戻るべく、無心の如く、出航の準備に取り掛かるのである。
何かに勘づいたお照は、
「――貴方、彼らに、脅されてるんですか?」
と、思っている疑問を、素直に口に出してしまった。
それでも、次郎は、お照と顔を合わせることもなく、無心で、舟の出航のやりくりをしつつ、淡々とした口調で、
「まぁ、平たく言えば、そうです。彼らは、ここいら一辺で取れる魚を、根こそぎ、奪いたいんですよ。これまでも、どこぞの池を乾かして一網打尽にそこに住む魚を捕まえてみたり、違う地域の河川に毒を流して魚を根こそぎ奪い取ったりしている輩なんです。いわゆる『酷(こく)魚(ぎょ)』ってやつです。僕の父は今、病床に伏せてますから、まぁ、足元を、見られているんでしょうね。でも、仕方ないですよ、こんな世の中だ。疫病と飢饉。誰だって、”賊”みたいな行為に、及びたくもなる」
と答える。
そんなこんなしていると、もう、太陽が頂点にまで上っていた。
眩しい太陽を浴び、きらきらと、国分寺の七重の塔の屋根の飾りが眩しく反射してくる。目を細めながら、二人は、それを眺めた。
「――さぁ、もう、良い頃合いだ。早く、帰った方が、いいんじゃないですか? 前に来た尼僧さんは、もっと、早く切り上げていましたから」と次郎は、照れ隠しに、わざとつっけんどんな態度で、そう言った。
お照は、
「……今日は、助けて頂き、本当に、ありがとうございました」
と言って、帰路についた。
お互い、その顔は赤く染まっていた。
 
また、必死の思いで、重たい水の入った桶をかじかんだ手で持ち、急勾配の坂を上り切り、国分尼寺に戻ってみると、やんぬるかな、お照は、上司のお局的な尼僧に、さんざん油を絞られる運びとなった。
「いったい、何時だと思っているのです⁉ 水汲みに、何時間かかっているのです⁉ こんなご時世ですよ⁉ 帰り道、”賊”にでも狙われでもしたら、私たち全体に、迷惑がかかるんですよ⁉ それが、分からないんですか⁉」
「申し訳ございません……」怯えた目線を向けながら、ここは、なんとか、謝る他ない。
「これだから、尼(あま)入道(にゅうどう)は、本当の出家というものの真髄を分かっていない、というのです‼ 本来の、仏教における、戒律を、分かっていないのです‼ ほとんどの尼僧は、家を捨てて、出家遁世しているのです‼ 在家のまま、出家しただけで、本当の尼僧になれるものですか⁉」
「……。本当に、申し訳ございません」
が、それは事実ではなかった。
お照の元々の家族は天然痘により皆死亡し、困ったところに、養子に取ってくれた親戚の家が、たまたまあったのだ。
だが、そのまま、その養子の家に居続けるのは、はなはだ居心地が悪く、何より、最愛の弟を救えなかったことが、ずっと胸のつっかえになっており、お照は出家遁世することを決したのだ。
一方、この上司のお局的な尼僧は、夫と死別し、出家した身の上であった。よって、お照のことを立場の低い尼僧として見下していた。否、そもそも、二十歳もいかず、若々しく、剃髪し、染衣を身に着けても、美しき容貌を持つ彼女に対して、嫉妬していたのである。よって、日々、意地悪く接していたのだ。
お照は、夜の読経を終えて、床につく頃、一人、暗闇の中で思う。
(――彼は、死んだ弟に、似ているだけ。恋、じゃない。憐れみ、でもない。でも……)
一方その頃、若い漁師たる次郎は、いつも通り、寝たきりの父親に、もち米と米紛を混ぜて煮込んだものを、なんとか飲ませようと試みたが、やはり父親の喉は、今日も今日と手、何も通ってはくれなかった。
薄っぺらい敷物を取り換え、腹と腰に巻いた布を取り換え、父親の世話をした後、ろくな寝具も何もない、寒々しい平屋にて、次郎は、思う。
(あの人は、お姉ちゃんに、似ているだけだ。恋、じゃない。ただ、――明日も、会えたら、いいな)
 
翌日。
原作によれば、
 
尼さんは結婚が禁じられていましたので、2人は人目を忍んで逢瀬を重ねていました。
 
とある。
その実、この二人は、水汲みによって、心を通わせ合うことになるのである。
尼僧全員会しての朝食、読経、そして、掃除の後、お照だけは、先日の水汲み時の態度が戒律違反である、と見做され、連日の相模川までの水汲みを命じられる羽目になった。
しかし、お照は、重き桶をかじかんだ手で持ち、勾配激しき道中を歩きながら、心は裏腹、それが全く苦ではなかった。
むしろ、足が宙から浮いているような、多幸感に包まれていた。
(また、彼に会えるかもしれない。会って、話せば、少しは、彼の心を、癒してあげられるかもしれない。確かに、私のこんな気持ちは、仏教の道から、外れている。不浄感。この世のものは、清らかなものではなく、本当は、全て穢れに満ちている、という教え。漁師の彼の漁獲地域を奪おうとしている”賊”の彼らの心は、不浄だ。でも、尼僧の立場で、一漁師の青年に、恋心をもってしまった私の心も、不浄だ……)
そんな、取り留めないことを思案しながら歩を進めていると、目の前に、釣りに来ている次郎の姿があった。
「こんにちわ!」
と、清々しく次郎は、挨拶してくる。
お照も頬を赤らめて、
「こんにちわ」
と返す。
「また、こんな時間から、水汲みですか?」
「――ええ、修行ですので」
「「あの……」」
と、言葉が、重なってしまった。
二人、慌てて、
「「いや、どうぞ、お先に!」」
と言い直したが、その言葉もまた、重なってしまった。
お互い、顔が真っ赤になり、気まずくなってしまった。
その気まずさを紛らわそうと、次郎は、足元に落ちている石を取り上げ、河岸へ向かって無造作に投げつけた。一、ニ、三、と飛び石は伝っていき、四度目に、水面に沈んだ。
「へへ。遠くへ投げやっても、気になるもんですね、不安ってやつは」と、照れくさそうに言って、鼻をすすった。
「……不安なことって、なんなんです?」
「貴女のことですよ」次郎は振り返って、お照の顔をまじまじと見て、はっきりとそう言った。「気になって、気になって、仕方がないんですよ、貴方のことが。相模国分寺と国分尼寺が出来て以来、尼僧さんが、毎日、ここに水汲みに来ていることは、知っていましたよ。でも、同じ尼僧さんが、毎日水汲みに来るなんて、これまでなかったことです。……なにか、あったんですか?」
お照は、それを受けて、言い淀んだ。
「いえ、何もありませんので、お心配なく」そう言って、水汲みを、さっさと済ませようとした際、その体の負担から、ずるり、と足元が滑り、お照の体勢が崩れてしまった。
その最中を見逃さず、次郎は、おっと、と言って、颯爽と、その身を支えた。
「「……」」
奇しくも、現代で言う、”お姫様だっこ”の形となってしまった。
次郎も、お照も、顔が、かぁ、と真っ赤に火照った。その恰好のまま、お互いがお互いの瞳から、しばらくの間、離れられなかった。
「ごほん」と、次郎はわざとらしい咳払いをしてから、「そ、その足じゃ、国分尼寺まで、帰れないでしょう? 僕に、その桶の水を、運ばせて下さい」
「い、いや、あの……」
「僕自身が救われたいから、です。――それでも、だめ、ですか?」
お照は、断れなかった。
坂を登ってゆく最中、二人は、くだんのお互いの生活事情を、話し合った。
お互いに、天然痘で、身内が追いやられた過去を持っている、ということ。
お互いに、思慕の情の始まりは、それぞれ今は亡き姉と弟の姿を重ね合わせていた、ということ。
でも、今は違う、ということ。
お互いの名前を告げ合う頃には、もう、国分尼寺の大門が見える辺りであった。二人の関係は勿論バレてはならないので、あえて、この辺りで、二人は別れることにした。
「本当に、ありがとうございました」とお照。
「いえ、僕が勝手にやったことです」と次郎。
次郎が帰っていくのを見送った後、お照は、ふと、桶の中を見て、
「あ」
と、驚いてしまった。
鮎が一匹、入っていたのだ。
次郎にしてみれば、ほんのサービス精神でした行為であったが、これが、後々の大事件にまで繋がるとは、この時、誰も知る由もなかった。
この頃から、恋の相手、次郎が、一方的であり、思い込みが激しい気質であることがやや表面化し始めてくる。
 
「どういうことです?」
「……」
「私は、水汲みを頼んだだけです。鮎を取ってこい、とは、言っていません。どういうことですか? そもそも、今日は、六(ろく)斎(さい)日(にち)。狩りも、漁も、してはならぬ日、とされているのです。水田(すいでん)十町(じゅっちょう)で、十分なのです。それが、精進料理の真意です」
「……すみませんでした」
「――で、誰と会っていたのです?」
「……」
「黙っている、ということは、誰かと逢瀬を重ねていた、ということですか? 聞きましたか、皆さん‼ これは、尼僧として、あるまじき行為です‼」
こう、なんのかんのと戒律上の理屈をつけてはいるが、この上司の尼僧は、とにかく、このお照の若さが気に食わぬ一心なのである。
こうして、この上司の尼僧、二人の恋路を邪魔し、尚且つ、お照を寺から永久追放させるための、姦計を企む下りとなる。
翌朝。
手始めとして、自分の息がかかった部下の尼僧に、密偵役として水汲みにいかせ、何か証拠を取ってくるよう、命じる。
「かまを、かけなさい。お照、という言葉に、何か反応を示せば、それはもう、裏が取れたのと同断なのですから。大丈夫です。自信を持ってください。これは、悪事ではありません。むしろ、悪事を正す行為なのですから」
そう言って、密偵役の部下の尼僧の肩を、ぽん、と叩く。
果せるかな、答えは、向こう側から返ってきてしまった。
川草と小石をかきわけ、河川敷から歩いてくる、若き尼僧の姿を見て、次郎は、それをお照と見事に勘違いし、無邪気に手を振って、
「あ、お照さん!」
と、うっかり、いつもの調子で、口を滑らせてしまったのである。
その、密偵役を買われた尼僧は、
「……あの、うちのお照と、お知り合いなのですか?」
と怪訝な表情で、次郎に問い詰めた。
次郎は内心、しまった、と思ったが、表面上は、無言を貫き、素知らぬふりをし通していた。
それで、その場は丸く収まるはずであった。
しかし、――間の悪いこと、そこに、例の”賊”共の、大声があがったのである。
「そうだぜ! そこの、独占欲の強い次郎っていう男は、ここんとこ、ずっと、若い尼僧の『お照』とかいう女と、ここで、逢瀬を重ねていたんだぜ? 魚も一人占めするは、女も一人占めするは、神仏も一人占めするわで、とんでもない、汚れた人間なんだぞ‼」
次郎は、強いて、黙した。
強いて黙した後、ふと、例のにこにこ笑いを、”賊”共に浮かべた。
(――もう、色々と、取りつ返しがつかない、というわけか。仕方ない)
そういう意味で、次郎は、笑ったのである。
それを聞いて帰った密偵薬の尼僧は、上司の尼僧に、早速、報告する。
上司の尼僧は、それを聞いて、内心、ほくそ笑む。
(これで、裏が、取れたわ。
さてはて。どうやって、懲らしめてやろうかしら。
あ! そうだわ。
相模川の、鮎が取れる水域に、毒薬でも流してやったら、どうかしら。
水で流せないほどの、不浄さ。
そうよ。これほど不浄な奴らに、お似合いな末路も、ないわ。
そもそも、聞いた話だと、その”賊”共も、その若い漁師一人が、その相模川の漁業領域を独占しているのを、良く思っていないんですもの。
どうやったって、その、若き漁師一人のせい、という態にできるわ。
いえ、その、悪行の手伝いをしていた、ということで、お照の奴も、連帯責任で、この寺から追い出すことも可能じゃないの。
まさに、一石二鳥だわ)
そう考えついたものの、自分自身の手で、やるわけにはいかぬ。ましては、国司(こくし)に頼むわけにもいかぬ。
そこで、考えついたのが、日頃より、疫病と飢饉から我が身を救い給え、と供物を捧げにやって来る村人を利用する、という手段であった。
その中の一人に、次郎に絡んできた”賊”の親御さんがいたのである。その親御さんを通じて、”賊”共に、その手を汚させようと思いついたのである。
 
悪いこと、というのは、時に都合よく連鎖するもので、朝の勤行と下座行を終えた後、その”賊”共の親御さんの一人が、供物を捧げに、のこにこ国分尼寺にやって来たではないか。
ここが勝負時だ、とばかりに、上司の尼僧は、その親御さんに、
「立場上、いけないことなのですが、一つ、頼みごとを、お願いできますでしょうか?」
と相模川の、とある鮎がよく取れる水域に、毒薬を流す計画に乗るよう、切り出す。
「この計画は、確かに、いけないことです。仏の道に身を置く者としては、思いつく時点で、地獄行きです。それは、十全に、分かっております。
しかし、です。私たちは尼僧は、ようやく、一人前として世間に認められだしたところなのです。その尼僧の地位を、小娘一人の罪によって、剥奪されることは、もっとあってはいけないことなのです。
そうです。これは、歴史的な問題なのです。歴史的な立場から、申し上げているのです。
勿論、私たち側だけでなく、貴方たち側にだって、ちゃんと利益があります。以前、貴方たち一家は、一人の若き漁師に魚を奪われている、と、この寺に相談にいらっしゃったことがあったでしょう?
この計画に乗って下されば、その漁師の、個人的な漁業権が、剥奪されることになりますよ。少なくとも、魚が全く取れなくなれば、良かれ悪しかれ、今までの個人的な漁業権をお上が見直す運びとなることは、確実です。
私の方からも、見直すよう、積極的に国司に進言することをお約束致します。
毒薬での魚の大量死も、その若き漁師のせいだ、と口添えしておきます。
そもそも、仏教上の掟に従っても、個人的所有は、あってはならないものなのです。
なに、上手くいきますよ。
そもそも、この、天然痘という疫病は、ほら、『野蛮人の船から疫病を移された一人の漁師』から始まっている、という噂じゃないですか。
どうでしょう? 悪い話じゃない、と思うのですが」
そう詰め寄られて、”賊”共の親御さんは、ごくり、と唾を飲んだ。
が、心はとうに決っていて、荒くれ一味である息子にいい思いをさせてあげたい一心で、その毒薬を流させるよう、息子へ命じる運びとなる。
 
水は、高きところから低きところへと自然と移行する、という言葉がある。まさに、その言葉の通り、事はつつがなく、行なわれてしまった。
三度目の逢瀬が、こんな沈んだものになろうとは、二人とも思ってもみなかったに違いない。
 
ある日のこと、若者が困った顔をしているので尼さんは何か心配事があるのですか、とたずねました。若者はなかなか口を開かなかったのですが、やがて決心し、七重の塔を含めた屋根の飾りがあまりにまぶしく輝くので魚が逃げてしまい、漁をしても魚が取れないと話しました。
 
と、原文にある通り、次郎は、大きな岩に腰かけて、前かがみになり、随分気落ちしている恰好で、お照を迎えた。
「……あ、どうも。お久しぶりですね」
「……」
お照は、川の様子を見て、全てを察した。口に手をやって、絶句する他、態度の取りようがなかった。
「貴方たちの、七重の塔、あれのせいですかね、あはははは、急に、魚が取れなくなりましてね」
などと、自嘲しながら、誤魔化しを言いかけたが、お照の顔を見るなり、すっと真面目な顔になり、「すみません、嘘です。どうも、”賊”共が、手回ししたようですね。以前も話した通り、私の父が得ていた漁業領域を、狙っていた連中ですから。まぁ、いつか、こういう日がくる、とは思っていたんです。が、しかし、です。――ただ単に、彼らが、可哀そうでならない」
そう言う次郎の目線の先には、毒薬で死に至った、大量の魚たちの死骸が水面に浮かび上がっていた。
お照は、あ、あ、あ、と声を出して、嗚咽をし始めた。
「私の、せいです。私が、貴方と、会っていたから、こんなことになったんです。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい…」
次郎は、黙って、首をふることで、それを否定し、
「僕の方こそ、ごめんなさい、です。――追い出されて、しまったのでしょう? お寺」と言って、お照を、静かに抱きしめた。「……今日は、桶、持ってないですもんね?」
そう言われると、お照の嗚咽は、酷くなるばかりである。
もう、どうにも、涙が、止まらぬ。
次から次へと、涙が、溢れ出てきて、止まらぬ。
そこから、原文の、
 
尼さんはどうすることもできないので、だまってしまい、2人はさびしそうにその場は別れていきました。その夜のことです。「火事だー。火事だー。国分寺が燃えているぞー」漁師のことを思うあまりに尼さんが国分寺に火をつけたのです。一度燃え始めた国分寺は、消すこともできず、一晩のうちに焼けてなくなりました。尼さんは捕らえられ丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられてしまいました。
 
という具合に、物語は進んでゆくわけだが、ちょっと、待て。
この若い尼僧であるお照が、漁師の次郎を思うあまりに国分寺に火をつけた、挙句、捕まえられ、生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられた、という結末には、異を唱えなければならぬ。
私は、この『尼の泣き水』という民話を、次のような物語に作り直したいのである。
 
なに、結論は、簡潔である。
史実にある、国分寺に火を放った者は、その上司の尼僧の姦計に乗った”賊”共だったのである。
というのも、この毒薬の一件が世に知れ渡って以降、それを聞きつけた聖武天皇が、『養老律令』の条文の中で、
【山川藪沢の利は公私共にせよ】
という法律を、新たに追加してしまったからである。
これは、平たく言えば、何人とも川の利益を独占してはいけない、という法律である。
ゆえに、その相模川の漁域を全て手中に出来る、と浮足立っていた”賊”共も、結局、おこぼれを貰うどころか、お上からの規律が厳しくなり、むしろ、朝廷や国司から逮捕されるべき悪党としてつけ狙われる身の上に落ちてしまったのである。
すっかり、騙される形になった”賊”共は、考える。
「ああもう、あの、国分尼寺の上司の尼僧に、すっかり騙されちまった!」
「全くだ! 捕まって、竹のこぎり引きの刑に処されるぐれぇなら、いっそのこと、自棄のやんぱち、焼いちまうか、相模国分寺と国分尼寺を!」
といった具合になり、最後のすかしっ屁として、”賊”共が、相模国分寺と国分尼寺に火打石で火をつけたのである。
まさか、”賊”共に放火される、とは夢にも思っていなかった、この姦策自体を画策した張本人である上司の尼僧は、燃盛る国分寺尼寺の中で、いつも唱えている仏教的な落ち着きはどこに置いてきたのか、生存欲丸出し、ひいいいぃ! お助けぇぇ‼ という、至極みっともない悲鳴をまき散らし、後に、寺の残骸と共に、黒焦げの姿として発見されることになる。
これこそが、作者が考える、『尼の泣き水』という民話の、真のあらましなのである。
 
しかし、である。
くだんの如く、紹介してきた、”賊”共も、上司の尼僧も、考えてみればそれほど憎むべき存在でもない。
飢饉と疫病と不景気。
生活のために、止むに止まれず、頼まれた犯罪に手を貸してしまうこともあるだろう。
実際、現代の日本の状況に照らし合わせてみれば、この手の犯罪は、後を絶たない。どころか、増加の一途である。
そんなことより、である。
お照と次郎、彼ら二人はどうなったのか、という話である。その顛末を、これから作者は、自分勝手な解釈によって描写して、筆を置く。
 
初冬の、寒さ厳しい、真っ暗な夜。
「――もう、こうなった以上、一緒に、死にましょう。それしか、道は、ないですよ。僕はもう、とっくに、覚悟は出来ているのです」
そう真っ先に、言い出したのは、男、次郎の方であった。
お照は、「ええ…」と言いながらも、内心、動揺した。
本当は、自分一人、原文にある通りの刑罰を受けるつもりであったのだ。次郎には、病床にある父親もいるし、直接的に罪を犯したわけでもないのだから、生き残って欲しかったのだ。
勿論、これも、お照側の一方的な思い込みである。
だが、少なくとも、お互いの妥協点を話し合うことは出来る、とは思っていたのだ。
しかし、次郎の目を見てみると、まるで話が通じそうになかった。
一言でも、
「いや、貴方と死ぬことは出来ないわ…」
などと、彼に言い渡したら、どうなることだろう? ぞっとするのであった。その思い込みの激しさから、お照を無理矢理でも殺すか、国分寺寺の方により強い敵意をもって何かをやらかす可能性だって出てくる。
そのぐらい、思い込んでしまった目をしている。ああ、言えない。とても、本当のことは、一言半句も、言えない。
冷静に考えてみれば、自分と死んだ弟ぐらいの、年の差があるのだ。世代的な、考えの差があるのだ。
ここにきて、次郎という男の、一方通行的な、思い込みの激しさに、お照は、苦しめられることとなった。
その結果、――お照は本音を諦め、次郎の唱える心中の話に乗ってあげよう、という気持ちに、水のように切り替え、
「ええ、勿論。私も、ずっと、この瞬間のために、生きてきた気がするの」
と答えて、次郎に向けて、笑った。
二人は手をつなぎ、河原に落ちている小石を拾い、お互いの服の中に入れ、うつろな目をして、無言で頷き合い、冷たく、暗い、相模川の中へと入っていった。
勿論、その後の二人の行方は、誰も知らぬ。
ただ、後世の人間が、勝手に、
 
その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出ました。村人は尼さんが罪をわびて流している涙といって、その湧き水を「尼の泣き水」と呼びました。
 
などと、『感動話』として、後付けして「解釈」したに過ぎない。
本当に、最後の最後、二人の心は通じ合っていたのか?
すれ違っていたのに、同化したふりを、してやっただけではないのか?
その答えは、読者諸氏の解釈に委ねたい。
後略。
 
 
 
「短編小説『尼の泣き水』あとがき」
遅ればせながら、あけまして、おめでとうございます。
この不要不急連載小説空間も、昨年で一区切りでしたが、2ndシーズンとして、こちら(note)で、仕切り直しです。
というか、Twitterのモーメント機能、無くなってたんですね、昨年末。
僕自身は、Twitterのモーメントで、短編・長編小説を連載していたので、顔が青ざめました。
死活問題、もうだめか、と思いつつ、今後、小説を載せる際は、こちらのnoteに掲載しよう、と思います。
やっぱり、表現欲求は、消せない模様です。
この短編は、表紙絵のハッシュタグでもつけた通り、 #博多女性刺殺事件  の #寺内進  君の言動を見て、急遽、「男の思い込み」の怖さの方に、物語の舵を切り替えた形です。
以上です。
では。

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