社会的企業の政治性ー社会的企業、右から見るか、左から見るか?

近年、英米を中心に盛り上がっている社会的企業ですが、今回は、この政治的な位置づけについて書いてみたいと思います。

昔から企業の社会的責任というような議論はありましたし、企業が慈善団体などを支援するというのはこれまでも珍しくは無かったですよね。

だから、社会的企業というものについても、政治的な立場を離れて連帯できるものであると考えることも、そんなに夢想的ではないでしょう。

でも、一般的には、社会的企業、ESGとかSDGsというのは、左翼方面からのアプローチが多い様に思いますし、左翼的と感じている人も多い事でしょう。最近では、政治的に右の人たちにも環境問題への関心が高い人はいますが、昔からわりと左系の方が熱心だったと思います。

そう考えると、社会的企業とその関連の運動は左翼的なのでしょうか?自由な経済を阻害するものでしょうか?

社会的企業の社会主義的側面

米国で、しばしば次期大統領候補という呼び声もあるエリザベス・ウォーレン氏によって議会に提出されたアカウンタブル・キャピタリズム法は、社会主義的だという批判が多くありました。アカウンタブル・キャピタリズム法は、Bコーポレーションやベネフィット・コーポレーションという社会的企業の法制度の影響を受けています。一定の大企業に労働者の経営参加を義務付け、株主だけではない、地域社会や従業員、取引先の利益をも考慮に入れて経営することを求める法案でしたが、法案の内容から社会主義的だという批判を巻き起こしました。確かに、エリザベス・ウォーレンは、米民主党の左派、左翼の扱いを受けています。

マルクスも考えた社会的企業

マルクスは、株式会社を相互化する過程として、持株会のようなものを考えていたようです。個人が株式会社を「所有」することで、株式会社が社会化されると考えたのです。(詳しくは拙著をご覧ください)

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%B3%95&i=stripbooks&language=ja_JP&ref=nb_sb_noss

マルクスも言っているくらいなら、社会的企業は左翼的だとする批判もそんなに的外れではないように思われます。

伝統的保守主義の側面

一方、社会的企業がその目的とすることの多い、地域への貢献という観点から見るとどうでしょうか?

菅政権誕生の時だったと思いますが、政権側から、「自助、公助、共助」という文言が発せられて、大きな批判を浴びたことも記憶に新しいところです。この自助というもの、政府の保護ではなく、自らを助けるという考えは、まさに保守思想の中核となるものです。

イギリスの社会的企業の代表的なものにコミュニティ・インタレスト・カンパニー(CIC, https://note.com/mokudaira/n/na3f2a3f310b8)がありますが、この事業体の制度は、まさに自助を助けるためのものであり、自由主義、保守主義の中に位置づけることも可能なものです。

実際に、英国政府では、このCICという社会的企業を地域における自助を担う存在として位置づけています。

地域社会の担い手としての社会的企業

サッチャリズムのいわゆる新自由主義的な考えは、英国内外で批判が多いです。何でも自由化したことにより、公共サービスの質が低下したのではないか、という批判も根強いです。

サッチャー路線は、ブレア政権が若干の軌道修正を行い、その後もマイルドな自由化路線が継続していますが、そうだからと言って、英国政府は昔のような大きな政府に戻ろうとしているのではないです。ここに社会的企業の役割があります。

つまり、新自由主義的な考えが冷淡である、弱者や地域社会の利益を守るために、政府自身が直接、資金を投じて保護するのではなく、社会的企業を興させ、自分たちの利益のためのビジネスを自分たちで考えることを促す方法を採用しているのです。

社会的企業、右から見るか、左から見るか?

以上で見てきたように、社会的企業と言っても、社会主義的側面もあれば、草の根保守的な側面もあるということです。

これは、この社会的企業という装置を社会の中でどのように位置づけるかという政策的な位置づけによっても影響されます。

英米の違い

アメリカでのウォーレン氏の法案は、大企業に一定の社会性を義務付けるものであることから、それを「規制」と受け取る人たちが多いのも事実です。ただ、アメリカでも、既に各州の会社法は、企業は株主の利益だけではなく、地域社会や取引先、従業員などいわゆるステークホルダー(英語では、Corporate Constituenciesということが多いようです。)の利益を考えることを義務付けています(各州の制度を「利害関係者法」と言います。)。ウォーレン氏の法案は、従業員の経営参加などより社会主義的な性格があったのは事実ですが、今のアメリカの「会社」をめぐる議論の延長線上にあるものであり、特段に規制が強まるというものでもないように思います。

一方、前述のように、英国の社会的企業は、地域サービスを補完するものとして政策的に明確に位置づけられています。

以上のことを纏めますと、アメリカでの批判にあるように、企業の活動に対して、一定の枠をはめ、社会的目的を強制するのであれば(注:現状のアメリカの利害関係者法は強い規制ではないです。)、これは社会主義的という批判を免れないと思いますが、企業の自主性を促すような方法であれば、これはむしろ伝統的な自助努力を促すという意味で保守主義の制度ということが言えると思います。

社会主義的手法の全てを否定する必要はないと思いますが、事業の収益性に十分留意しながら活動をすることが、その事業の持続可能性を高めるものであることを考えれば、社会的事業というものにその収益性の観点を取り入れた社会的企業は、規制ではなく、むしろ自主性を促すような方法の方が望ましいのではないかと筆者は考えています。






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