見出し画像

「ブラームス回想録」を読んで

ブラームスの事は、正直よく知らなかった。知っている曲と言えば、ハンガリアン舞曲第5番ぐらい。顔も全然覚えてなくて、小中学校の音楽室の後ろの方に、肖像画があったようななかったような、という程度。

ある日、何気なくRadu Lupuというルーマニア出身のピアニストのアルバム「ブラームスピアノ小品集」の中の、「6つの小品作品118の2 間奏曲イ長調」を聴いて、自分の中の音楽の世界がひっくり返るような衝撃を受けた。心がざわざわとさざめき立って、膝から崩れ落ちそうなぐらいの、衝動。いてもたってもいられなくなって、その日のうちに、楽器店で楽譜を買い求めた。そこからたどたどしく練習を始めて、今では一生大切に弾き続けたい曲になっている。その後聴いたラプソディ第1番も同じぐらいの衝撃を受けて、練習を開始した所。

いったいどんな人物なのだろうと、軽い気持ちで検索してみた。すると、若い頃と晩年とでは、その風貌が驚くほどに違う事が分かった。目つきはより鋭く、立派な顎鬚を蓄えて、まるで違う人物のよう。いったいどんな人生を歩めば、こんなに風貌が変わるのだろうと、興味が芽生えた。

しばらくして、地元の図書館でブラームス回想録を見つけた。彼と交流のあった沢山の人達が書き残した、3冊の回想録。読み進めてすぐに、彼がとても魅力的な人物であることが分かった。魅力的といっても、「非の打ちどころがない優れた人物」とかではない。例えば、特に生涯に渡って深い交友関係にあった、クララ・シューマンやその友人達も「時にがさつで不愛想で、自分の殻に閉じこもり怒りっぽくなる」気質を彼に感じていたし、クララに届いた最初の頃の手紙にも、それが見え隠れしていたことが、クララ夫妻の第7子(4女)、オイゲーニエ・シューマンの手記に記されている(ブラームス回想録集3より)。他にも、ブラームスの「粗暴な態度は、プライバシーを侵害しそうな攻撃に対する終わる事のない防御態勢」であり、「人間的なふれあいを大切にして、それを求めつつも、すり寄って来られると守りの態勢をとる」といった、本質的な人間性に迫る記述は圧巻で、ブラームスの音楽に少しでも興味がある人には、3巻だけでも、ぜひ読んで欲しい。回想録は、そうしたブラームスの気質に振り回されたり、傷つくこともありながらも、誰よりも人間臭い彼に魅了された友人や仲間が、周囲や後世の人達がブラームスの事を少しでも正しく理解できるように、愛をもって書き残された記録であると思う。純粋で穏やか、頭脳明晰で誠実な、常にあるがままでいたいと願うブラームスの人物像の輪郭が、彼と関わりのあった様々な人物の証言や記録を通じて、くっきりと浮かび上がってくる。同時に、イタズラ好きで、おちゃめなおじさん像も。

ところで、回想録の第1巻で、「ピアノの魔術師」と呼ばれたフランツ・リストとブラームスの関係性について、簡単に触れられている。ブラームスは、たくさんの弟子をはべらせたリストに不快感を隠さなかったそうで、その時のブラームスの師匠であった人物がリスト贔屓であったことから、師匠とも仲違いし袂を分けたという。それほど嫌う理由はいったい何だったのかを知りたくなり、リストの人物像も検証してみようとヴェルヘルム・イェーガー著「師としてのリスト~弟子ゲレリヒが伝える素顔のマスタークラス~(音楽之友社)」を読んでみた。読んでみて、ものすごく合点がいった。その理由は、書き出すとまた膨大なボリュームとなるので、後日改めて書くことにする。

なんて素晴らしい曲なんだろうという所から始まった、ブラームス考察。音楽史なんて、学ぼうと思ったこともないし、肖像画をまじまじと見つめたこともない。けれど、100年たってなお弾き継がれる音楽にすっかり魅了されて、その人となりを知りたくてたまらなくなって、普段なら手にとることもなかった本に読み耽った。そして彼が生きた時代がどうだったか、その時の日本はどんなだったか、さらに興味が広がる。試験のために覚えたただの歴史年表がむくりと起き上がって、いきいきと脈動し始める。勉強ってつまりは、「好き」から広げるものなのだと、この年になって、初めて実感した気がする。

ブラームスの魅力についてはまだまだ書き足りないけれど、彼の音楽を聴きながら、そろそろ本業の木彫りに戻ることにする。

またブラームスの事を書こうと思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました!

※ヘッダの写真は、ブラームス回想録3の表紙をカラー処理したもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?