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「月と六ペンス」を読んで

近所の書店にて、この夏オススメの本のコーナーで見つけたシンプルな装丁の本、サマセット・モーム著「月と六ペンス」。

タイトルは見たことはあるが読んだことはなかった。ヘッセの「車輪の下」の横にあったから、きっと誰もが知る名著なのだろうと思い、裏表紙のあらすじに目を通した。“ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラー”とある。読んでみようと、軽い気持ちで他の数冊の本とともに買い求めた。

読み始めると、最初は退屈でたまらなく、あくびを噛み殺しながら何とか読み進めた。ところが、冴えない男ストリックランドが家族を置き去りにして姿をくらませた辺りから、急激に作中に引き込まれた。彼の家族や友人たちが口を揃えてありていな想像を膨らませて、作家である主人公を置き手紙に記されていたパリに送り込んで、戻るよう説得させようとするあたりから、もうすっかり作品の中に取り込まれていた。ある日突然家族を置き去りにしていなくなるなんて最低という世俗的な感情と、一体何が彼をそうさせたのかという純粋な興味が掻き立てられて、結果が知りたくてたまらなくなり、もうどうにも読み止めることはできなくなった。

行方をくらました理由を知った時、きっと多くの読者がそうであったように、ポカンとなった。そんな子供じみた理由で?と常識を疑うと同時に、ストリックランドのそのある種狂気的に純粋な精神性がどこまで続くのか、見届けたくなった。あまりの苦しさに、きっと諦めてロンドンに帰るに違いないという大衆的な淡い期待を抱きつつ、諦めないとしたら、彼の行く末は一体どんな悲惨なことになるのだろうという、顔を覆った手の指の隙間から覗き見るような、常識人気取りの、知りたがりの気持ちを押し殺せなかった。

そんな野次馬精神は、ストリックランドを取り巻く登場人物の感情が彼との出会いを通じて大きく揺さぶられることで顕になる人間の本質に迫っていく秀逸な表現の渦に削り落とされていって、自分がいかに常識に囚われたちっぽけな人間かを知らしめられることになる。

常識的には最低な男でありながら、常軌を逸するほどの崇高な精神を持ち続けるストリックランドに、嫌悪感を抱きつつ抗えない魅力を感じてしまって、もうどうしようもなくなるのだ。心をぐぎゅっと、鷲掴みにされるような感覚。彼の人生がどんな結末を迎えるのか知りたくてしょうがない気持ちが先行して読み進めてしまった事を後悔してしまうような、物事の多面性を深く捉えた文章を味わい尽くすには、1回読んだだけでは事足りない、そんな読後感。

100年前に書かれたとはとても思えない、古臭さが全くない名著。作者は一体いかなる人間観察眼を持っていたのか、どんな本を読んで、どんな人生を歩んだのか、知りたくなった。つまりすっかりファンになってしまったミーハーな私は、月と六ペンスと並ぶ代表作と言われる「人間の絆」を買い求め、今読み始めたところである。

読書の良さを、今更ながら名著に教えてもらってどっぷりと読書沼にハマってしまった。この沼からはしばらく抜け出せそうにない。

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