2.幼児生活と幼稚園生活形態

幼稚園で生活形態を重んずるのは、生活を重んずるからであります。
ところが今日の幼稚園を通観して、痛感に堪えないものは、幼稚園というものを、先ず概念的に組立てておいて、そこに子供を入れて来るという趣を脱しないことではありますまいか。
私の預っておりますこの幼稚園 でも、常にその欠陥を自ら警戒しております。

私は園の先生方とお茶を飲みながら話をします時に、私 にもよく解らない言葉ですから、諸君にもよく分らないかも知れませんが、とにかく何だか変ですね ということをしばしば言います。
お茶と一緒に飲みこんでしまおうとしても、どうも飲みこみきれないものがあるのです。どこがどうとハッキリは言いきれないが、何だか変なのです。

幼児たちが朝、 幼稚園へ来ます。そのときから、純然たる幼児の生活をし、幼児たちの集りらしい生活形態をしているでしょうか。 幼児の生活を真実にさせておいて、その中へ幼稚園を作らせているでしょうか。

そこに、「何だか変だ」という言葉がひっかかって来るのであります。
ここの附属幼稚園なんかは、世間の人がときどき、幼稚園のようでないといいます。
なかには、いつ保育が始まるんですか、などということを、一、二時間も参観なすった後でお尋ねになる人がある。それ程自然的です。実に、幼児は 朝の間したい放題のことをやっているような形になっている。それでさえ、私にはまだ「何だか変だ」が残っているのです。

言いかえれば、もっともっと幼児の自然の生活形態のままで保育がしていけないものかと考えてばかりいるのです。

できるだけ幼稚園らしくない形をとらせてみたら、ほんものが出来はしないかとさえ試みているのです。

それでもまだどうも幼稚園臭い。私は余りの鋭敏じゃありませんけれども何だか幼稚園臭い。ちょっと外から来て見ても幼稚園だとすぐ気がつくような臭みがぶんとする。
子供というものの匂いよりも幼稚園の臭みがする。

たとえば、生きのいい魚には臭みはないが、始終を入れているざるは生ぐさい魚の臭みがある。 それと、ほんとうの魚の匂いとは別でしょう。
ただの子供の生活には特別の味はないが、幼稚園へ入れられると幼稚園臭くなるのです。

そこが「何か」のです。それをもっと生のままで聞くことは出来まいか。子供 純粋な匂いだけで、幼稚園という特の臭みのしないところには出来まいか。私は始終それを 考えているのであります。

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