Noteに見る「文化相対主義」の世界

5月にNoteを始めてからおよそ半年が経ちました。
交流の幅が広がり、色々な知見に日々触れることができることがとても嬉しく、お付き合いいただいている皆様には本当に感謝しています。
改めて御礼申し上げます。


実は私は、今までSNSをほとんど使ってきませんでした。
(遠い過去にはIRCなどのチャットソフトは必要に応じて使っていましたが…)
ところが、以前はIT関係の職場にいたこともあり、そこでは某業界向けに、当時は黎明期だったSNSも含む情報リテラシーの指導役を務めたこともあります。
他人に使い方の注意点を教えつつ、自分は使わない…という妙な状況はしばらく続きました。

その理由として、情報の有用性よりも、ネガティブな影響が自分には強いな…と感じていたからです。
十把一絡げにはできませんが、

・情報の正確性が怪しい(デマも多い)
・無責任な発言が多い(言い捨てが多い)
・妙に批判的な人が多い(発言が攻撃的)

がとても気になりました。
何となくですが、「承認欲求」から来る「自己保存の欲求」や「投影」の典型例ではないか?と感じたのです。
概念でいうと「エスノセントリズム(ethnocentrism)」に近いものがあります。

エスノセントリズム(英: ethnocentrism)とは、アメリカの社会進化論者ウィリアム・サムナーの造語。

自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。
自民族中心主義、自文化中心主義とも呼ばれる。
(Wikipediaより)


私は比較的、周囲に影響を受けて自分を徐々に変化させる傾向があるので、この世界の影響を受けるのは嫌だな…と本能的に拒否反応が出たのだと思います。

私の基本的な概念は「文化相対主義(cultural relativism)」で、ここはどのようなシチュエーションでも変わることはありませんでしたし、今後も変わらないでしょう。

文化相対主義(ぶんかそうたいしゅぎ、Cultural relativism)とは、全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想である。

文化相対主義は、ある社会の文化の洗練さは外部の価値観によって測ることはできない、と考える。
自身の文化を相対的に把握したうえで、異文化と相手側の価値観をとらえ、その文化、社会のありのままの姿を理解しようとする。
フランツ・ボアズによって提唱された。
(Wikipediaより)

私がNoteの世界に足を踏み入れたのは、この概念が具現化した世界だと感じたからです。

知見を共有する。新しい価値観を知り、認め合う。
そこに上下関係や優越感・劣等感はなく、そのありのままの姿に互いに敬意を払う世界。
私はそんな世界が好きなのです。

そんな世界に私を導き、多くの友を与えてくれたNoteに感謝しています。
そして、これからNoteが一層活動の幅を広げ、その世界が広がっても、この部分だけは変わらないでいてほしいな…と切に願います。


Noteと友に感謝を込めて。
2018.11.11


タイトルの写真はsasaさんからお借りしました!
ありがとうございます。

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