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そうだったらいいのにな

子育てママンの親友「おかあさんといっしょ」。
そのスペシャルコンサートで、うたのお兄さんが「そうだったらいいのにな♪」という歌を歌っていたのを覚えている。
あれは、おさむお兄さんだったか、だいすけお兄さんだったか。

現実世界でも
「そうだったらいいのにな」
と思うこと、小さいものも大きいものも色々ある。

子どもの頃は
「おやつのおうちを食べてみたいな」
とか
「明日突然泳げるようになればいいのにな」
とか
「明日のマラソン大会で雨がふればいいのにな」
とか、みんなかわいい妄想をたくさんしていたんだろうと思う。

なのに、大人になった私たちは
「そんなのできるわけないじゃん」
「夢とか理想とか語ってもどうせ無理だし」
とか、なんだかかっこつけてんだか、かっこわるいんだかよくわからないシニカルな物言いを身につけて、「そうだったらいいのにな」と、思うことすらやめてしまうようになる。

偉そうに書いているが、かくいう私ももともとは「夢とか希望とかどうせ叶わないじゃん」と思っていたクチで。
今だってエネルギッシュ満点な行動派の人をみると、まぶしさで「ふぁ~~」っとなる。(←どんなだww)

だが、それでも今は前よりだいぶ妄想上手にはなってきた。

10年くらい前、ほぼ日の糸井さんが
「毎年年始に自分の手帳に願望を100個書くようにしている。100個も書くのってなかなか大変だけど、そうやって自分の『ああしたい、こうしたい』を解放するようにしてみるといいよ」
みたいなことを今日のダーリンで書いていたのを見た。
で、実際にやってみたら、本当に100個も書けなくて、どんなにひねり出しても40個くらいしかでてこなかった。
そのときに、
「そうだったらいいのにな」「こうなったらいいのにな」っていう妄想を100個書くには、脳内の「どうせできない」「これは現実的に無理だし」という思考のストッパーをはずさないとできないんだな、とわかった。

それから手帳に毎年妄想を書き、このときに気付いた自分の高性能ストッパーを意識的に外すようにしていたら、いまではだいぶ妄想上手になった。

理想と現実にギャップがあることは悪いことではない。
妄想が現実と違っても落胆する必要も悲観することもない。
そこにあるのは「ギャップがある」という事実だけ。
ギャップを埋めたいなら、そのギャップを埋めるためにネクストアクションを設定すればよいだろうし、ギャップを埋める必要がなかったとしても、妄想自体を辞める必要はない。

臆病な私たちは、そのギャップに対してちょっと過剰に怯えすぎなんだと思う。

まずはシンプルに、子どもの頃にかえって

「そうだったらいいのにな♪」とか歌いながら、自分はどうなったら幸せか妄想できるようになるといいよね。否定したくなるストッパーはいったんオフにしてさ。

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