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心理的安全性は誰が作る?

「心理的安全性」が流行っている。

コトバの字面的には
「なんでも言っていい安心できる環境」
とか
「不安のない状態」
みたいなシンプルな意味で解釈してしまいがちだが、それは心理的安全性という多面体のうちの、ほんの一面の解釈でしかない。
心理的安全性の高い状態というのは、たぶん、そんなぬるま湯な環境ではない。

本来の意味には、
「プラスとマイナス含めてしっかりと指摘しあえる環境」
だったり
「個人と、事象を分けて考えたうえで、事象に目をむけて会話ができる環境」
っていうニュアンスも含まれる。(ハズ)。

つまり、自分の意見や仕事について、マイナスなことも率直に言われることを覚悟しなければならない。
そしてそのときには、
「否定された」とカッとすることなく、
フィードバックしてくれた相手の人間性も否定することなく、
フィードバックされた内容にのみフォーカスして議論できるだけの冷静さが求められる。
相手の意見や仕事についても同様で、なぁなぁにせず、率直に意見をフィードバックするし、それができる信頼が前提になる。

気持ちのいいことだけ言い合う関係性が「心理的安全性」ではない。

なので、心理的安全性を作るのは難しい。

心理的安全性は誰が作るのか?

リーダーの影響力は大きい。
会社のトップの影響力はさらに大きい。
この人たちが本気で頑張ればもちろん効果は大きい。
だが、私のすぐ近くにある心理的安全性を作るのは、第三者の誰かではなく、まずは自分自身だと私は考えている。

さいしょっから社長や部長にその環境を作ってもらおうとするのは、はなから誰かになんとかしてもらうという考え方で、自分はなにもしないスタンスだ。
それは違うような気がする。

隣の同僚との会話や、先輩・後輩との日常会話のなかで自分が発言するコトバや、相手のコトバ。
そういうところに信頼感と率直な議論ができる土壌はうまれるのだと私は思っている。

たとえば、
いそがしくても、誰かが相談してきたときにはできるかぎり笑顔で対応するとか、
挨拶するとか、
挨拶を無視しないとか(意外とたくさんいるよね、無視する人ww)、
他人のミスや失敗について、過剰に反応せずまずは一緒になって解決をするとか、
その後の振り返りも、事象にフォーカスするとか、
できるだけ、日々きげんよさそうに過ごすとか。

そういう人が増えれば、すくなくとも自分の半径5mくらいの心理的安全性はよくなってくると私は思う。

部署のメンバーがどんどんお互いを信頼・尊敬し、率直に、だが謙虚に、会話ができる関係性になり、たとえばその輪が10人になったらどうだろう。
部署のメンバー10人と課長が会議をしたとき、確実にそのチームのパワーバランスは変わるんじゃないかと思う。

そんなの楽観的すぎる、というのもわかる。
数や論理性など関係なく、課長が横暴でバカな場合は往々にある。
部長にいってもダメかもしれないし、報復人事もあるかもしれない。

だからといって、自分がなにもしないのに課長や部長、社長が変わってくれるのを待つのはなんだか違うんじゃないかなぁ、と思う。
自分が違和感あったとして、それを発信しない限り、変わる可能性はゼロだからね。

多様性も、心理的安全性も、スケールを大きくして話をしてしまいがちなところがある。
やれ「会社」だ、「社会」だと…。

でも実際、まず変えられるのは自分の身の回り。
そして、それを作るのは自分の態度からだと私は思っている。

多様性は、究極のところ、夫の洗濯物の干し方と自分の干し方が違うときに頭ごなしに否定しないことだし、
心理的安全性も、夫が道を間違ってもため息をつかないところからだ。
(私がそういうことをしている、というわけではない。私は多様性と心理的安全性あふれる人間なので、どちらもやらない)


ま、とはいいながらも、会社とか大きい組織の風土をがーっとかえるのには、トップが変わってくれるのがいちばん。(←ここまで書いといていまさら~~!www)

自分が色々頑張って、チャレンジして、それでも変わらなくてイヤになっちゃったら、その会社をやめて、環境変えちゃうのも手だと思います。
今は人材難だから転職しやすい。
すくなくとも、私が転職したときよりはマシなはず。

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