じわりじわり

私の今働いている会社サイボウズは、グループウェアを作っている会社だが、ありがたいことに働き方先進企業としてときどき取材を受けたりする。

今日、「がんばるな、日本 無理して出社させない選択肢を」というタイトルの広告を日経新聞に出した。HPではテレワークに関する特設サイトもあり、テレワークの歴史やらQ&Aやらを出したりなんかしている。

私は2015年入社で、そのときには、すでにある程度テレワークが普及していた。
が、めちゃくちゃ進んでいるようにみえるサイボウズも、現在にいたるまでの歴史を振り返ると、変化の歩みはとてもゆっくりだということがこのページを見るとわかる。

最初はルールもガチガチ。正直こんなルール全部守って在宅するくらいなら出社するわ、と思う。それが、少しずつ少しずつ、ルールが減っている。

テレワークに限った話ではなく。

社内にいると
「意外とのんびりしてるんだなぁ」
「そんなに早くは進まないなぁ」
と思うことがたまにある。
正直、私が入社前に思っていたより目の前でみていると歩みはのろい、ような気がする。

ただ、のんびりだけど、じわりじわり続いていて、ふと気付いたときにはずいぶん進んでいる。
しかも、それがとまらず、ずーっと継続して改善が続いている。

私達は、なにかを決めたり進めるとき、個人でもプロジェクトでも、最初から100点でやろうとしてしまいがちだ。
スタートからハイクオリティでカンペキなものを目指すのでやりはじめるのに時間がかかるし、心理的な負荷もあがる。うまくいかないと「あーもうだめじゃん!これ失敗!ハイおしまーい」と判断してしまう。

が、多くの人が関わっていたら、はじめから100点なんて無理なことだ。
人によって100点は違うのだから。

なので、スタート時の反応はビミョーでもひとまず初めてみることがこの会社ではよくある。じわりじわり、今の状況を見ながら、しずかに粛々と改善を継続する。
持続力に欠ける私にとって、100点のものを作るより、改善サイクルを繰り返し続けるほうがとても難しい。別の誰かがそれぞれのタイミングで考え、それを各自が表現してくれるからたぶん継続できるのだと思う。タスク処理も思考も振り返りも改善も、属人化していたら継続は難しい。

私は自分がなにか資料やアイデアを作ってみせるとき「これはたたき台」と表現するようにしている。
人は目の前になにかモノがないと上手に議論できない。なので、この資料は議論のためのフックになるものでしかないのよ、とあらかじめ資料をだす時点でジャブを打っておくのだ。
「なんてクオリティの低い資料だ」
と思っている人がもしかしたらいるかもしれない。でも、たたき台だからいいの。
だからそういう人のことは気にしないことにしている。

で、だいたいスタート時は「これは完成を100としたときの20くらい」と自分の中で位置付けておく。そうすると叩かれても凹まない。20相当ですね、で終わりだ。

20だったのものが、たたいて揉んで、議論を重ねて40、50、と出来上がっていくのはとてもおもしろい。みんなで育ててくかんじ。


個人の資料作りひとつとっても、私達はついつい頑張ってしまう。けど、ほんとはそんな感じのほうがお互いにいいような気がする。
いい資料の作り合いとか、ミスのない完璧な資料の作り合いなんて、疲弊しちゃうだけだもの。

テレワークだけじゃなく、今の世の中、変えなきゃいけないんでないの?と思われるものはとても多い。
そのとき、自分も100点を作ろうとやっきになってしまいがちだし、他人にも100点を求めがちだ。

でもさ、無理なんだって、100点は。
人がいれば価値観も考え方も違うんだもの。

なので。
大事なことは、20点をまずは出してみる勇気と、20点のものがでてきたときに批判から入らない寛容さだと私は思うよ。
あとはじわりじわりと改善して最終的に点数上げていけば良い。たぶん、本質はそっちのほうにある。

なんか、テレワークの歴史をみて、そんなことを考えました。

継続は力なり。


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